年4月には灰野庄平か『帝国文学』21巻4号において『青い騎手』掲載の「舞台のコンポジションについて」を翻訳した。これらは,絵画にとどまらないカンディンスキーの多面的な創作活動を伝えている。このようなカンディンスキーの著作の紹介が進む中,京都の二人の美学者による興味深いカンディンスキー論が現れる。その一人が同志社大学の園頼三である。前述のように園は『美術新報」において『芸術における精神的なもの』を部分訳したのを皮切りに,1917-19年に13回にわたって同誌上でカンディンスキー論を連載,当時出版された最新の文献に基づき,芸術論から伝記,詩,舞台作品,さらには青い騎手派の画家についてなど広範囲にわたる詳細な紹介を行なった。またカンディンスキーの作園のカンディンスキー論は多岐にわたっているが,全般的に作品より芸術論に重点が置かれている。とりわけ重要なのは,園の関心がカンディンスキーの「響き」の概念やそれに基づく画家の綜合芸術論に向けられていることである。連載前半で論じられる画家の芸術論や色彩論,詩や舞台作品の紹介もすべてこの観点からなされる。その際ボードレール,ュィスマンス,ランボーらに見られる象徴主義的な共感覚思想,ホイスラーやチュルリョーニスの絵画の音楽性,リミングトン,スクリャービンらの綜合芸術の試みについて詳述され,カンディンスキーの作品と芸術論もこの19世紀末以来の諸芸術の純粋化,綜合化の流れの中に位置づけられている。一方,カンディンスキーを例に「絵画における自然性の価値」,すなわち絵画の対象描写の問題を論じたのが植田壽蔵である(「絵画に於ける自然性の価値ー1910年以後のカンディンスキイ」『哲学研究』1巻3号,4号)。その作品分析はおそらく「カンディンスキー1901-1913』の図版によるとはいえ,当時多くの論者が作品自体の検討を疎かにし,未だ具象的要素を留めた作品まで対象描写を放棄した作品と論じたのと対照的に,抽象へと至る作風の必然的展開を綿密に考察したものである。同時に植田は詳細な作品観察を通じて抽象化されてはいるが,未だカンディンスキーの作品に残る多くの具象的モチーフを識別したほか,画家の「内的響き」(植田の訳では「深音」)の概念に着目し,《コンポジションV》の画面をうねる黒い線のモチーフを「黒色に鳴り渡る大工場の汽笛の様な深音が篭もってゐる」とした。近年のカンディンスキー研究ではこのモチーフが「最後の審判のトランペットの音響」の象徴と指摘されており,(6月1日,2日)紙上で山田耕作が『クレンゲ』から詩4編を訳出している。1915品19点の複製図版も転載して紹介している。-55 -
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