『ブレラ祭壇画』を取り上げる理由は,この作品が,ピエロがヴェネツィアにおける「聖なる会話」(サクラ・コンヴェルサツィオーネ)という形式の発展に決定的な影響を与えた作品としてたびたび言及されているからである。サクラ・コンヴェルサツィオーネは厳密な概念ではなく,ここでは,枠などによる分割のない単一の画面に単一の空間を設定し,そこに聖母子,聖人等を描いた祭壇画と規定しておく。『ブレラ祭壇画』とヴェネツィア絵画特にアントネッロ・ダ・メッシーナ,ジョヴァンニ・ベッリーニの三者の関係については次のように言われることがある。アントネッロはピエロの『ブレラ祭壇画』を研究してその成果を『サン・カッシアーノ祭壇画』(1475-76年[図2])に表した。この祭壇画はヴェネツィアにおける祭壇画の形式に,建物によって形成される単一の空間の内部にいる群像という形式を持ち込んだ画期的な作品であり,ジョヴァンニ・ベッリーニを始め,多くの画家がアントネッロの作品に学んだ,そしてこの形式が15世紀後半から16世紀初めにかけてのヴェネツィアの祭壇画の主要な形式となった,というものである。このような説を最初に提唱したのはおそらくミラード・ミースと思われる。ここで重要なのは,建築モティーフが画中の空間を形成し,その内部に人物が合理的に配される,ということである。図lピエロ・デッラ・フランチェスカ『プレラ祭壇画」ミラノ,プレラ美術館(1) -69-
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