4]'その他の作品で類似の構成を実現しているが,アントネッロは,少な〈とも現存図2アントネッロ・ダ・メッシーナ「サン・カッシアーノ祭壇画』このように『ブレラ祭壇画』の『サン・カッシアーノ祭壇画』に対する影響を以てピエロのヴェネツィアに対する影響の一つと考えられてきた。しかし現在,アントネッロがピエロとヴェネツィアを仲介する役割を果たしたという意見は,祭壇画の構図(サクラ・コンヴェルサツィオーネ)のヴェネツィアにおける展開という問題に限って言えば,必ずしも認められてはいない。なぜならばジョヴァンニ・ベッリーニは『サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ祭壇画』[図3]や『サン・ジョッベ祭壇画』[図作品に関するかぎり,1475年以前も以後も建物内部の聖人群像は描いていないのである。したがってこのような構図を考案したのはベッリーニの方である可能性が高い。またベッリーニの祭壇画は,聖堂内の設置場所,石造の枠や祭壇との密接な関連をもつことが指摘されている。ヴェネツィアにおいてはこうしたいわば総合的な芸術プロジェクトが行われたが,アントネッロの主たる活動の場であったシチリアではそのような機会は殆どなかったであろう。彼が仲介者の役割を演じた可能性は少ないように思われる。それではピエロはベッリーニに直接影響を与えたのだろうか。ここでピエロ,ベッリーニおよび関連すると思われる作品をあらためて検討しなければならない。ウィーン,美術史美術館-70-
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