鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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て制作されていることに気付くのである。最も早い作例の一つに数えられているのがベッリーニ自身の『サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ祭壇画』(焼失)である。模写によれば交差ヴォールトの下に聖母子を中心とする群像が描かれ,かなり混み合った構図である。テンペラという技法(カヴァルカセッレ)などからおそらく1470年ないしその前後の作と考えられている。以前にはこの作品と『サン・カッシアーノ祭壇画』のいづれか先に制作されたか議論があったが,現在ではベッリーニの方がアントネッロよりも早いと考えるのが普通である。筆者が興味深く思うのはフランチェスコ・デル・コッサが1472年に制作した『バラッカーノの聖母子』(ボローニャ,サンタ・マリア・デル・バラッカーノ聖堂[図5])である。14世紀の古い聖母子の周囲を建築モティーフで取り囲んだもので祭壇画ではなく祭壇上の壁面に描かれた壁画である。聖母の座す玉座はヴォールトの下にあるように見え,背後の障壁の向うには風景がひろがる。ヴォールトを支える柱の手前には二人の天使が立ち,さらに一段低くなった所に寄進者と思われる男性が描かれている。右下にはおそらくこの男性と関係があると思われる老婦人の顔が見える。いわゆるサクラ・コンヴェルサツィオーネではないがそれに近い構図である。現在では見えないか,かつて玉座の下に1472年の年記があった。このような構図の作品が1472年という時期に描かれていることは重要である。図5フランチェスコ・デル・コッサ『バラッカーノの聖母子』ボローニャ,サンタ・マリア・デル・バラッカーノ聖堂-73 -

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