図6アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ「ベッルーノ祭壇画」ベルリン,カイザー・フリードリヒ美術館旧蔵仮にピエロ・デッラ・フランチェスカの『ブレラ祭壇画』がその後に続く全ての同様な構図の作品の出発点となったのであるならば,フランチェスコ・デル・コッサのボローニャの作品やジョヴァンニ・ベッリーニの『サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ祭壇画』のような作品が,『ブレラ祭壇画』と同じ時期に複数の地域で類似の構図をもって制作されるとは考えにくい。そのうえ『ブレラ祭壇画』とヴェネトからマルケにいたる地域の同様な構図の祭壇画とでは,玉座の高さ,建築空間の扱い方にかなりの相違が認められる。視点については『ブレラ祭壇画』と同じく人物の目の高さにある例も存在するが,殆どはソット・イン・スーで描かれている。つまり,ピエロの作品は,この地域における15世紀後半の祭壇画の一般的傾向から若干外れていると言えるのである。このことは次のような推測を可能にする。すなわち,東北イタリアの祭壇画形式に影響を与えたのはピエロ・デッラ・フランチェスカではなく,何か他の発想源が存在したのではないか。ピエロはこの地域での制作状況とは別個にこの形式に到達したのではないか。あるいは逆に影響を受けたのはピエロの方であったという可能性も絶無とは言えないだろう。ここでサクラ・コンヴェルサツィオーネという形式,それも建築モティーフと人物との関係についてふりかえっておきたい。この形式は,いうまでもなくフィレンツェ-75 -図7チーマ・ダ・コネリアーノ「コネリアーノ祭壇画」コネリアーノ大聖堂(3)
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