鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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page)上の差異としてともすれば見過ごされがちであるが,挿絵サイクルの形成とそとその範囲,すなわちギュイヤールが『スコラ史』に基づき聖書その他の典拠から必要な部分を選択・編集した結果得られた物語としてのテキストの内容的なまとまりを,ある程度明確に限定して提示する役割を担っており,優れて実用的である。もともとテキストの知識を十分に備えた聖職者が主として用いていたウルガータ版聖書と,聖書史伝の大まかなあらすじ程度の知識はあってもテキストそのものとの接触の機会は少なかったと思われる世俗の読者のために編纂された『歴史物語聖書』とか,それぞれ異なるリファレンスのシステムを備えているのは,ある意味では当然のことと言えよう。『スコラ史』に由来する段落標題の有無という,『歴史物語聖書』固有のテキストとそれ以外の増補テキストとの間の相違は,単なるレイアウト(miseen texte, mise en の配置システムに関しては,決定的に異なる結果をもたらしている。筆者による写本作品の調査分析より明らかになったように,『十三世紀フランス語聖書』に由来する増補テキストは,詩篇や黙示録など比較的早くから独立した写本作品として制作され充実した挿絵サイクルの伝統を持つものを別にすれば,各書の冒頭にのみ挿絵を施した作例が大多数を占める。これに対し,『歴史物語聖書』固有の旧約八大書や列王記,工ステル記などでは,通常,各書の冒頭だけではなく,下位分節である段落の冒頭にも,本文の流れを中断して頻繁に挿絵を挿入している。このシステムにより,挿絵を伴う段落の冒頭は,段落標題,挿絵そして本文冒頭の大型の装飾イニシアルの形成するいわばユニットにより,視覚的に本文の流れの中に位置付けられ,読者は段落標題や挿絵を手がかりとしながら各段落の主題をあらかじめ把握し,要領よく本文を読み進めることができる。各段落の主題を簡潔に要約する段落標題とともに,挿絵を対応する段落の冒頭にその都度挿入する,『歴史物語聖書』特有の挿絵サイクルの配置システムを,本論では“段落標題”形式と呼ぶことにする。個々の段落標題と聖書本文からの引用そしてこれに対する註解の組み合わせは,当然のことながら固定しているのに対し,任意の段落に与えられた挿絵の主題や,一連の挿絵の形成するサイクルは,作例間で大きく異なる場合も少なくない。したがって,『歴史物語聖書』写本の挿絵研究においては,上述のユニットか,挿絵サイクルの構造を客観的に把握し,作例間の比較考察を効果的に行うための重要な基本単位となる。筆者は,本研究において調査の対象となった『歴史物語聖書』の写本作品に含まれる-81-

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