大伝法院同様に廃絶したが,安置仏•仏師の共通点を示した頼喩の記載は注意をひく。応五1292)によって知られてはいたが,著述当時の七九オという筆者覚満の年令と大伝法院回禄年を考慮し,記述内容は検討されるべきであろう。同時代にえがかれた両界曼陀羅の後壁画例を挙げておきたい。実範(?〜1144)創建の中川成身院と内山永久寺で,二例には東西両壁に両部感得図(東壁一善無畏金粟王塔惑得図西壁一龍猛南天鉄塔相承図)が描かれていた。ともに制作年代は長承〜保延年間(1130年代)で忠実を介した外護者などの共通項をもっている。なお,内山永久寺本は,柳沢孝氏の論考(「大和永久寺真言堂障子絵と藤田本密教両部大経感得図」『美術研究』187• 224)によって藤田美術館本(大阪)が斯本であることが判明している。一方,中川寺は根来寺中興頼喩の『真俗雑記問答紗』第一七本に,大伝法院の両界は東寺の灌頂堂を写したものであると伝え,次いで,中川寺成身院本尊の像容・仏師にも言及し,本尊は金剛界大日如来像で,光背には五仏種子・三昧耶,四摂菩薩の種子・三昧耶を安じ,幸助(康助か次項参照)の作であると言う。中川成身院もさらに大伝法院本堂三尊後壁には,「中尊後壁等身金剛界五仏左方後壁五菩薩等身右方後壁五大聰等身」同じく,柱絵は,「母屋柱内陣西柱金剛界五仏並菩薩五大尊不動也同東柱胎蔵五仏般若菩薩四行菩薩不動烏悶沙摩倶利伽羅二童子等也自余十二(本)柱三十七尊字印形並仏眼金輪外金剛部二十天等也廂間後壁東西方等身十六祖師像安置之」とある。「東寺金堂講堂灌頂院本尊座位」(中野玄三「東寺灌頂院の柱絵J『日本仏教絵画研究』所収)に拠れば,東寺灌頂院と覚鐙が拝したであろう建久復興以前の東寺講堂にも両界腺像の柱絵が描かれていた。覚鐙は前述の本尊三尊像をはじめ,東寺から多くの事を学んだように思われる。以上の大伝法院本堂内部の空間は,古代寺院に通有する全き仏の世界であった。諸堂安置仏このほか大伝法院の諸堂に奉安されていた諸仏を「合」に従って示すると,涅槃像・浴像・大師御影・胎蔵大日如来(宝塔).丈六不動腺(一仏師康助一不動堂).丈六二天(一仏師康助一中門)・御正件(御杜殿)•大師御影(聖霊堂拝殿)・鳥羽院御影,丈六大日如来(仏師康助),両界大曼陀羅,柱絵諸尊像(絵師為遠)(以上覚皇院)上仏具経典は除くの造像について少しふれておきたい。大伝法院関係では他に,康治二年(1143)に建である。ここでは院覚についで事績があげられている仏師康助95 -以
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