鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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いては北朝の特徴を持っていることが理解される(注l)。しかし漢中・安康地区のこれまでの報告は断片的なもので,そのままでは墓葬の全容を把握することはできなかった。さらにこの地域では未報告の資料があるとの情報か,北京大学に留学中の小林仁氏(成城大学大学院)から寄せられたのである。このため我々は現地調査が必要であるとの結論に達し,1995年7■ 8月にかけ漢中市雀家営墓群の調査担当者であった北京大学考古系趙化成助教授と協力し,安康地区博物館,漢中市博物館の協力をえて現地で遺物調査をおこなった。以下はその調査と研究の報告である。ここで漢中・安康地区の地理的環境について若干触れておく。漢中・安康地区は秦嶺山脈南麓の漢水上流域に属している。秦嶺山脈と淮河を結ぶラインは中国を地理的・歴史的に南北に分ける指標とされているが,漢中・安康地区はまさに南北の境界線にあるといえる。また周辺との関係をみると北には秦嶺を越え関中盆地と,西南は四川盆地と接している。東側では漢水を下って南陽盆地に接しており,さらに漢水を下れば長江中流域の武漢で長江に合流する。このように漢中・安康地区は関中盆地・四川盆地・南陽盆馳そして長江中流域と関係があり,東西交通の要衝にあった。II.後漢・三国時代の漢中地区について南北朝時代の検討にはいる前に時代的に先行する後漢から三国時代の漢中地区と周囲の文化的な関係についてみておきたい。検討に当たっては墓葬に副葬される揺銭樹を取り上げる。揺銭樹とは青銅製で,神像・怪獣・動物・五妹銭などをあたかも樹木のように鋳造し,それを台座に差し込んだものである。特に五誅銭が多く,そのため「揺銭樹」といった名称が与えられている。漢中地区での揺銭樹は漢中市鋪鎮碑廠墓(注2)'勉県紅廟漢墓(注3)などで出土している。両者はいずれも枝の部分には魚,龍などが鋳造されている。ただし碍廠5号墓出土例には幹上に仏像と思われるものが鋳造されており,注目される〔図1・2〕。この像は頭部に肉髯があり,身体の正面では施無畏印を結んでいる。更に袈裟は通肩に着け,その一端を左手で持っている。頭部の形状,印,衣服などから見て,仏像と考えて間違いないと思われる。以上の漢中地区出土の揺銭樹を隣接する四川省出土のものと比較してみよう。鋳造-101-

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