鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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23)。a.在家営墓出土の陶桶b.崖家営墓出士の陶桶と漢水流域地区出土の陶桶との関係31〕。鉄芯や木芯を入れる技法と併せて,塑像と陶桶の類似について考察する必要があ漢中地区では,南北朝時代の墓葬についての発掘報告がはとんどなされていない。ただし西魏時代の墓葬であるとされる雀家営墓からは,他に例を見ない特殊な陶桶が合計84体も出土して,人々の注目を集めている(注22)。確かに漢中地区は,西魏の支配下に入ったけれども,この墓葬が西魏墓であることを積極的に支持する証拠はひとつも見いだせない。西魏の都であった西安付近の西魏墓や北周墓には,画像碑墓は存在しないし,またそれらから出土する陶桶は,在家営墓の陶桶とは形式のみならず様式まで完全に異なっている。それゆえこれらを西魏墓とすることには,問題がある(注雀家営墓出土の陶桶の特徴として,墓主の出行と関連するものが見られる以外にも,いくつか興味深い点を指摘することができるが(注24),とくに重要な点を三つあげれば以下のようになる。第一点は,その多くが片足を前に踏み出し,まるで歩いているような姿勢をとることである〔図22〕。第二点としては,型が用いられ,頭部と胴部及び脚部がそれぞれ別々に作られていることがあげられる。それらは互いに鉄芯で結びつけられ〔図23〕,とくに胴部は,木芯のまわりに藁を巻き,その上から粘土を付け成型した後に焼成するといった,珍しい技法が用いられている〔図24〕。そして第三点は,「魃髯」と呼ばれる特殊な形式の髯を結う像が見られることである〔図25〕。歩いているような姿勢の陶桶は,この他にも鄭県画像碑墓や襄陽買家沖画像碑墓,そして安康長嶺画像碑墓といった,漢水流域に位置する墓葬から大量に出土している〔図26,27, 28〕。しかしそれらの中には,寵家営墓のように鉄芯を用いた陶桶は存在しない。では,この技法を用いた陶桶が,他にひとつも見いだせないかといえばそうではない。新康廠天監五年南朝墓出土の陶桶には,同様に鉄芯が用いられていた。しかもそれらは片足を前に出し,歩いているような姿勢をとっている〔図29〕。ただし,武人桶に見られるように,膝の部分を紐で縛る(縛袴)だけでなく,余った布を結ぶなど〔図30〕,在家営墓出土の陶桶には見られない形式をも備えている。興味深いことに,麦積山石窟第44窟(西魏)の菩薩像などにもこれと共通する形式を見いだせる〔図ろう。なお,在家営墓出土の陶桶に見られた「魅習」は,蜀の地方に伝統的に見られ-106-c.陶桶について

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