鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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I.「美術に関する調査研究の助成」研究報告1.平成7年度助成① 「Gaku」ー「純正美術」と応用美術の間で第2回ヴェネツィア・ビエンナーレにおける「日本の部」の出展内容は,ベルリン(第2回ヴェネツィア・ビエンナーレにおける日本美術)研究者:東京大学大学院人文杜会系研究科第一種博士課程昨年(1995年)百年を記念したヴェネツィア・ビエンナーレの歴史の中で,1897年の第2回に日本美術が出品されたことはあまり知られていない事実である(注1)。本稿では「純正美術」(注2)と応用美術の議論に焦点を当てなから,当該美術博覧会における日伊双方の要請,出品の意図を探り,その際,刺繍や押絵,染物が「Gaku」(額)という言葉で,絹本絵画と同一の範疇に括られた現象の背景を明らかにしようとするものである。の美術愛好家エルンスト・ゼーゲア(ErnstSeeger)の日本古美術品コレクション(注3)と日本美術協会の出品した同時代の日本画・器物であった(注4)。日本美術協会のこの参加は,日本美術が純正美術か応用美術かという,当時の日本美術界の一大関心事の文脈の中で,非常に重要な位置を占める。すなわち,初めて日本美術が純正美術と見倣された1893年のシカゴ・コロンブス万博と,それを世界に確認させようとして失敗に終わった1900年のパリ万博(注5)の,時期的に丁度中間に位置するのである。私が問題としている1897年のビエンナーレに於ても,出品した日本美術協会や資金援助をした農商務省の思惑が,日本美術を純正美術と認めさせることにあったのは,容易に推察できる(注6)。一方,ビエンナーレ運営委員会では,純正美術と応用美術を厳格に区別する方向で企画を進めていた。すなわち,1895年の第1回ビエンナーレから既に,絵画,彫刻,水彩,素描に限って出品を認めていたが,1897年の第2回においてもその方針を踏襲することが,1896年2月8日に開かれた運営委員会で草案の第3項として決定されたピサ高等師範学校大学院文哲学専攻石井元章-1-

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