鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
13/747

数104点中69点にも及ぶ「器物」,すなわち工芸品をビエンナーレに送ることになったのである(注7)。続く第4項は日本部門のみ装飾工芸品を受理することができる。当該部門の陳列には特別な配慮がなされるであろう。という案文であったが,日本美術の出品もまだ決定していないため,時期尚早として本条項の削除が決まった(注8)。しかしこの草案には,日本美術の応用美術としての側面を重要視し,純正美術の例外として参加を認めようとする態度が明確に見て取れる。ビエンナーレ運営委員会が日本美術の参加を求めたのは,イタリアの諸都市で開催されていた内国・国際美術博覧会に於て,日本美術がそれまで全く紹介されていなかったため,その第一人者たる栄誉を得ようとする目的があったのである(注9)。ビエンナーレのこの純正美術博覧会としての性格は,グリマーニの佐野宛書簡でも確認されている。閣下に送呈する英仏二文の規則書によりて御承知可相成通り,威尼斯博覧会は決して工業的に非ず候間,装飾美術品は特別精美のもの数点に限り例外として収受可致候(注10)。これに対し佐野も,日本美術協会は欣然長沼氏を賛助して貴市より同氏へ御依托被成候事業の成功を容易ならしむべく,我国美術大家の製作品を選択して貴市に送付可致候。而して真に美術品とも称すべき工芸品数点を添付すべき心算に有之候(注11)。と返答している。しかしながら,出展費用の不足から農商務省が「仏伊工芸視察」の一環としてこのビエンナーレを組み込み,4000円を支給すると決定した時点から,日本側の方針に微妙なずれが生じ始めた。つまり,農商務省は日本工芸品のヨーロッパにおける販路拡大を第一目的に掲げたのである。而して日本出品の影響如何其出品にして好評を得んか,今後純正美術品は兎も角,工芸品は大に其販路を拡むるに至るべし。又農商務省は近来欧米の美術工芸が本邦の意匠を応用するに留意し,長沼氏の渡航を幸い,同国の工芸品が如何に我意匠を応用し,如何に日本的趣味を勘みつつあるやを,次で我工芸品は如何なる点に就きて彼れの意匠を応用すべきやを調査せんことを氏に望み居れりと(注12)。この結果,日本美術協会は,佐野が返答した「数点」の工芸品から一転して,総出品のである(注13)。-2-

元のページ  ../index.html#13

このブックを見る