鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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てから冷却する間に釉成分の一部が結晶となり,その結晶が釉の中や器表で夜空の星のように輝くものである。波山は,やはりほぼ作陶の全期間にわたってこの「結晶釉Jに挑戦し続けていた。この「結品釉」は近代以前の日本陶磁史には存在しない釉技で,まさに化学的な研究成果が導入されるようになった近代陶芸を特徴づけるものでもある。そして「釉下彩」と同じように,この「結晶釉Jも十九世紀末の西洋陶芸界ではー大ブームを巻き起こしていたのである。その流行が,十九世紀末のパリやシカゴでの万国博覧会などによって日本にも紹介され,明治30年代前後から注目され始め多くの陶芸家が試みている。この日本での「結晶釉」の系譜に関しても,これまでの研究では比較的等閑視されてきてしまったと思われる。次章では板谷波山がl童れた「釉下彩」と「結晶釉」の,十九世紀末のヨーロッパとアメリカの陶磁における様相をみていきたい。【西洋世紀末の陶芸】(1) フランスックな絵画に対抗し,「光の変化や大気の震え」を表現しようとした印象主義の絵画が勃興していた。同じく陶磁の場合にも,十八世紀以降の様式の主流を占めていた金彩を使い繊細優雅な花丼文などを描いたロココ調の意匠が,大きく変化を遂げていくのである。当時のモネを中心とする印象派の画家たちは,「光と色彩」との関係に深い関心を示し,独特の色彩感覚を示す絵画様式を確立した。それと同じように,当時のフランスの陶芸家たちも,やきもののもつ神秘的な色彩,つまり窯の中で炎の予期せぬ作用によって,自然に変化に富んだ美しい色あいの器が生まれることに多大な関心をもち始めたのである。色彩への興味という点からすれば,当時のガラス製造者たちも陶芸家と同じ美意識をもっており,微妙な色彩効果を見せる作品を作っている。特に世紀末のフランス陶芸家たちは,中国陶磁に熱い眼差しを向けていた。特にハヴィラント製陶所にいたエルネスト・シャプレは,中国清代の酸化銅を呈色剤にするいわゆる「桃花紅」と呼ばれる赤色の釉薬にいた<魅せられ,1884年頃からその秘密を見い出すことに没頭した。「桃花紅」はほぼ血色に近い赤と言えるが,炎の予期せぬ作用,つまり窯変によって緑色が浮き出たりもして,出来上がった時の色彩の予想のつきにくい釉薬である。1885年にはその「桃花紅」を模した赤紫色の釉が,やや肉1870年代にフランスの芸術界では,主題や形式の固定化していたサロンのアカデミ-125-

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