鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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1307年6月に皇帝からアルバニアのカニナの主教の求めによって与えられたものであ部の三辺に小さく「ユダのキス」,「嘲弄」,「連行」,「笞打ち」,「昇架」,「降架」,「埋葬」の計7場面が配されている。このうち「連行」に描かれたキリストの,うつむいて両手を縛られる様が,我々の挿絵と類似する。兵士や背景を除いて左右逆にすれば,ロンドンのキリストが出来上がる。同じく「連行」が表されたエマイユの十字架聖遺物筐を見よう。Esztergom在の作例(注7)では,長方形の画面が三段に分割され,中段から下段にかけて,聖遺物を納める十字架形のくぼみが造られている。上段には二人の天使,中段には聖十字架を発見したコンスタンティヌスとヘレナの母子,下段左には「連行」,右には「降架」が表される〔図5〕。「連行」から兵士とユダヤの聖職者を除いて,左右反転させれば,我々のキリストと等しい図像になる。ここにはEAKOMENOCEIIIゞT(AT)POT(+ 字架への連行/到着)の銘がある。上部の残存銘〔図4A〕は,まさにこれに合致する〔図4B〕。つまり当写本の挿絵は,皇帝アンドロニコスの肖像と「キリストの十字架への連行」を組合せて,モニュメンタルな巻頭奉納図像としたものである。それではこのアンドロニコスは,いずれの皇帝であろうか。ビザンティン史において,「アンドロニコス・パレオロゴス」を名乗る皇帝は3人いる。二世は在位1282-1328年,三世は同1328-41年,四世は同1376-79年。このうちアンドロニコスニ世の署名した金印勅書Chrysobullの図像と比較すれば,当写本挿絵もまたこの皇帝によって制作されたものであることがほぼ確実に推定できる。アテネのビザンティン美術館蔵Cod.80は,1301年6月にアンドロニコスニ世によってモネムヴァシアの府主教座に送られた金印勅書である(注8)。巻頭挿絵は向かって左にアンドロニコス,右に大きなサイズで祝福する立像のキリストを描く〔図6〕。これはモネムヴァシアの教会がキリストに捧げられていることにちなんで,皇帝とキリストを並べて表現したものである。もう一つの金印勅書,ニューヨークのピアポント・モーガン美術館蔵Cod.M398は,る(注9)。カニナの聖堂が聖母降誕に献堂されていることにちなんで,巻頭には左に皇帝,右に聖母の姿が表されている。聖母にはMH(TH)P0(EO)T H IIOPTPHの2 -134-

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