ティピコンこの技法は,挿絵が既製品であるという仮説によっても説明されるかも知れない。つまり先にキリスト像のみ描かれて,パトロン像の部分は空白のままの挿絵が制作されていて,皇帝はそれを「購入」して自らの肖像を描かせる。しかし皇帝が既製品を購入する,或いはそのような既製品の需要がある,ということは考えにくいし,何よりも既製品では献呈先のイコノグラフィーを考慮することができない。従ってキリストの下に金箔を置かず,皇帝の下には金箔を置く,という技法には特に意味を求める必要はないのかも知れない。とりあえず,興味ある事実として注記する。ブフタルとベルティンクに拠れば「ミハイル八世とアンドロニコスニ世のために書かれた写本は存在しない。1300年頃の時期に皇帝直属の写本工房が存在したかどうかは,はなはだ疑わしい」(注12)。ロンドンのレクショナリーは,この定説をくつがえす作例であろうか。つまり写本本体も皇帝によって制作されたものか,或いは,古い写本を再利用して挿絵だけを新たに加えたのだろうか。この問題に確定的な答えを出すことは,難しい。パレオロゴス朝の写本はしばしば中期(+ー〜十二世紀)の写本を意図的に模倣し,最良の出来のものは十二世紀写本と区別がつかないことが多いからである。ロンドン写本の場合でも,ヘッドピースやイニシァルの様式から年代を判定することは困難である。しかし推定の方法は存在する。そもそも筆者がこの写本に遭遇したのは,ビザンティン・レクショナリー写本の後半部分を占める聖者暦を調査する過程においてであった。9月1日に始まるビザンティン暦の一年間の,どの日にどの聖人が祭られるか。無論アギア・ソフィアの典礼式次第が定める聖者の選択が,正教世界の標準であるが,時代により,また地域により聖人の選択にはヴァリエーションがある。この聖者暦を体系的に蒐集比較することによって,写本制作工房の問題等に劇的に光を当てることが可能である,というのが筆者の考えである(注13)。ロンドン写本の比較対象になるのは,ブフタルとベルティンクによって指摘され,その後何人かの研究者によって追加された「パレオロギナ・グループ」と呼ばれる一群の写本である(注14)。これは「バレオロギナ(パレオロゴス家の女性)」のモノグラムを持つ女性によって注文された写本を含む,同一のエ房で制作された写本グループで,年代は1300年を中心とする数十年間に亙る。スクリプトリ2さミノロギオン-136_ 3
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