鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
153/747

横265.4cm(各扇は40.9cm(ー・六扇),45.9cm(二〜五扇))で,各扇ほぼ同様に三博E本の視座を検討すると,洛中洛外の差なく西側に置き,南西方向から南〜東〜北の省略呼称「歴博」を加えた「歴博E本」(平成六年に京都国立博物館で開催された「都の形象〜洛中・洛外の世界〜」展においても本屏風は「歴博E本」とされている)を以降使用することとする。歴博E本の形状は,紙本金地着色の六曲一双の屏風である。法量は本紙で縦99.8cm,枚の紙を繋いで一扇の画面としている。筆致・画風については,狩野派の影響を示す部分もあるが,概ね形式からの変容を示し,構図構成的にも不自然であったり無理な箇所も散見される。絵師に関しては,無款であるということに加え,前述のとおり絵画的特色も見られないことから,現在のところ特定できない状況である。歴博E本の内容歴博E本洛中洛外図の内容を見ていくことにしよう。両隻とも名称を墨書した金地の短冊形の名札(以下便宜上「短冊」とした)を貼付し観賞の便を図っている。一部文字が薄く判読不可能なものもあるが,両隻合計で百一枚である(表Iは,短冊に記された名称を漢字に手直しし,各隻各扇ごとに地域を揃え方位を参考に入れた)。判読した限りでは,独特の癖のある筆法と誤記の多いことが目につく。例えば誤記も「めやみ」となるべきものが「あやめ」となっているようなものから「かものけいは」が「ものけいは」,「うつまさ」が「うつまき」,「うし」が「うす」など多少なりとも京都の知識があればこのような誤記に及ばないものが多く,京都の地勢や祭事などに暗いか知識がない人物が筆者であったと思われる(地名の誤記については,表IIの『京童』と歴博E本との比較を参照)。また屏風各図位置関係及び視座・視線の検証については,内藤昌氏の景観構成模式図(『日本屏風絵集成第11巻風俗画洛中洛外』内藤昌「都市図屏風」昭和53年)を利用し,歴博E本の景観構成を考察してみた。これにより,両隻は一部例外を除き四条辺りを境に南側を右隻,北側を左隻と分けたことが理解できた。右隻右端上部を南東部の宇治に置き,左端を円山に,下部は右端は南西部の山崎にし,左端に松尾大社や燈明寺を描いている。両隻は碁本的には連続しており,左隻は右端上部に祇園杜を置き,左端を北東部の大原に,右端下部は法輪寺から左端下部は船岡山であるが,その手前に北西部の愛宕山が描かれている。一応歴〜北西と三百六十度に近いパノラマチックな視界の広がりを描いている。このため他-142-

元のページ  ../index.html#153

このブックを見る