鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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の多くの洛中洛外図屏風が,視座と視点の定まりと京都の実際の区画もあって,一定の方向性を持って整然と描かれるのに対し,視点が大きく移動することも含め,不規則で散漫な感じを与えている。例えば,各杜寺の向きも左右一定ではなく,一部正面の描写も含まれている。特に,近い場所で左右双方の向きが見られるところなどは,構図的に違和感があり,これをして自由奔放なものとも言い難い。しかし,両隻とも中央部に洛中の町屋を描くが,町屋の描写に限り一様に整然となされ,周囲の散漫な傾向の緩衝的な役割を果しているのも歴博E本の特徴といえよう。また,人物の数だが,一双で六百十余(右隻二百七十四,左隻三百四十で合計六百十四名)の人間が描き込まれていた。その他,他の洛中洛外図と歴博E本の間にみられる差異を述べておきたい。絵画上の方便として,家屋の内部を描く際,屋根部分を無視し上部からの俯轍で描く「吹抜屋台」的描写は,他の洛中洛外図にはほとんどみられないが,歴博E本には,数箇所行われている。また,定番的に描かれる祇園祭の山車などが,歴博E本にはまった<描かれない。などがあげられ歴博E本が,他の洛中洛外図に対し,異なる特色を有したものであることは示せたと思う。さらに細かい部分でも位置的に不都合なところや,構図的に問題のあるものも含んでいることを付け加えておく。この不都合や問題箇所が今後の検討課題となるが,ここでは,データとして歴博E本の諸情報を記すこととした。『京童』について『京童』については,先人による考証的な書誌学研究(市古夏生「京童解題」『近世文学資料類従古板地誌編1京童』昭和51年勉誠社など)が行われており,ここにおいて重複は避けるが,基本事項のみ以下に記しておく。刊年は,明暦四(「明暦四戊戌年七月吉日」の刊記による)年(1658明暦四年は七月二十三日で万治元年に改元)で六巻六冊の版本。著者は俳人であり,仮名草子作者である中川喜雲で,『京童』は彼の処女作でもある。内容は,著者喜雲が京童の案内により洛中洛外を巡り,自作の俳句や狂歌・狂句を添え各所の故事来歴を記す形を取っている。文体は戯文調であるが,滑稽を重視したものではなく,あくまで洛中洛外の名所を順覧する「案内記」としてまとめられている。この後盛んに著される地誌・名所記の喘矢としてばかりではなく,代表的な京都の地誌としても知られる。寛文七年には同じ作者になる続編の-143-

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