鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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10-1〕。④〜⑦の問題点は,いずれも『京童』の挿絵と付き合わせることで判明する。博E本の各図の配置をみていくと,一部を除きほとんどが近隣で描かれており,あるは認められず,煩雑に建物の向きが異なるのである。挿絵の屏風への利用の形態であるが,多くは挿絵の構図そのままを使うが,人物の増減や空間処理に変化が付けられたり,建造物などの付加及び省略など,一定の法則が存在するようなものではなく,その場その場での処理がなされたと思われる。歴博E本の疑問点と『京童』の関係さて,歴博E本の概要・内容で,幾つかの問題箇所や洛中洛外図としての絵画的不都合が歴博E本に存在することを述べたか,それを具体的に検証することとしよう。まず①他の洛中洛外図にほとんど見られない「吹抜屋台」的描写〔図7-1〕が見られることだが,それが存在するのは,『京童』の挿絵と同構図のものにおいてのみ見られる。②洛中洛外図の定番といってもよい祇園祭の山車の描写がないことも,『京童』中に該当図が存在しないからであろう。③左隻五扇ー紙目に描かれる醍醐〔図4-1〕であるが,地域的にみれば南東に位置し,右隻ーか二扇あたりが位置としては妥当と考えられるが,比叡山,鞍馬,上賀茂に近いところに描かれてある。この醍醐の描かれた位置は,視座・視線が移動する構成となっているとはいえ,理解し難い場所である。これも『京童』巻五の記述順が鞍馬・僧正谷・貴布禰・岩屋・醍醐・大原・比叡山〜と続き,『京童』自体なぜこのような順になったか不明だが,歴博E本はこのまま醍醐を含め各地を屏風に近隣として描いたのであろう。因みに,『京童』の目録順に歴程度目録の順番を屏風上に追える。線を引いて追ってみると,大半が線は切れずに継続していく。『京童』自体が,京都の地理に合せて記したこともあるが,結果としては歴博E本の図像配置に『京童』の影響が大きいことは理解できた。このほか,④目病地蔵は本来堂内に安置された仏像であるが,まるで露座のごとくに描かれている(図6-1)。⑤永観堂の阿弥陀仏が小さな堂に納められた仏像のごとくになって,人々が野外で参拝しているかのように描かれている〔図8-1〕が,これも本来大きな堂内の厨子内に安置されたものである〔図8-2)。⑥霊山の国阿正人像が,生身の僧侶のように描かれている〔図5-1〕。⑦貴船の人物が,なぜか髪を乱し慌てて逃げるように描かれているが,屏風上ではなんらその理由が見当たらない〔図④は,『京童』では,堂内を大きく描いており,太い柱なども見られるが,隣の観音像-146-

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