鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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31)で,逆にムナーロは日本美術が純正美術たりうると述べている。「Gaku」という概念を受け入れる下地を作った可能性は極めて高いと言える。ーカの『極東の美術』を掲げている。この著者がピーカの著作を基盤にしながら,ゴンスに一層正確な情報を求めていることは,その内容から明らかである。日本の美術はその基本的性格として統一性を持つ。純正芸術と装飾芸術の間にはヨーロッパでいう区別がなく,まさに方法と意図の一致と混i肴が見られる。絵画と小物,彫刻と刀の鍔の間にも本質的な差異はなく,程度の相違があるだけである。かくしてその形には,愛情の発露と霊感の烈しさが欠けている。しかし最上の形にも最も卑しいものにも,すべてに優雅と独創,軽妙が溢れている。この美術は心を感動させるのではなく,視覚の精妙な悦楽を与えるのである(注27)。この純正美術と応用美術の無差別,統一性(l'unita)の強調が,おそらくスペラツやムナーロらの批評家,延いては一般大衆に,絵画と刺繍,押絵,染物をすべて統一した今,この「Gaku」の議論から少々離れて,初めに述べた「日本美術が一般に純正美術か応用美術か」というテーマに立ち戻ってみよう。運営委貝会が最終的に日本美術を純正美術と認めなかったことは,シカゴ万博の成功に力を得ていた日本側を失望させるものであった。これに関するイタリア語の史料は残っていないが,読売新聞に掲載された長沼の報告が,副題に「日本出品は純正美術に非ず,日本趣味は欧州諸国を占領す」と述べている(注28)ことから,それは明らかである。しかしイタリア人批評家の態度は様々であった。批評賞選考委員の一人であったリッチは,この問題をヨーロッパのみにおける現象として取り上げ,彼自身の結論は避けている。すなわち,次のように論を閉じている。残念なことに疑問というものはコレラ菌が身体を冒すように,精神を冒す。急速に増殖し,広まり,破壊するのである。日本の美術に関しても同様であった。あの危険な問いは,議論を巻き起こし,何世紀にもわたって代々続いてきた平穏な生活を脅かしたのである(注29)。批評賞を競った文筆家の中で,ピーカは日本美術においては二つの美術形態の差異がないことを確認し,ヴューユは日本美術の中にも階級があり絵画がその第1位であると述べる(注30)。最終的には装飾美術であると考えるのはエンリーコ・トヴェツ(注しかし,何度もじっくりと見ているうちに私は考えを訂正した。ある素朴さが私-6-

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