鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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⑫ 鎌倉時代仏教彫刻における宋風受容の諸形態に関する研究_いわゆる逆手来迎印像を中心に一研究者:大津市歴史博物館学芸員岩田茂樹鎌倉時代の仏教彫刻に中国宋代の美術が影響を及ぼしていることはいうまでもないが,当然ながら,各作品,あるいは各作者によって,その受容の方法や程度には差異があったはずである。小稿では,鎌倉時代になって作例のみられる逆手来迎印を結ぶ阿弥陀如来彫像を対象として,その宋風受容の形態ないし方式を観察する。具体的には,逆手来迎印阿弥陀像のうち代表的な作例の実査をおこない,その印相をはじめとする図像・形式の分析と各作品の制作期の推定を通じ,逆手来迎印の阿弥陀像が当代においてどのような宋風受容傾向のなかで成立したかについて考察する。(1) 兵庫・浄土寺像これまでの研究により,建久五年(1194)から同八年(1197)の間に,俊乗房重源の指導のもと快慶を大仏師とする工房によって,宋画にもとづいて造立されたと考えることができる(注1)。像高530.0cmという巨像だけに,安置される浄土堂の建築と一体化したような特異な構造であるが,基本的には幹部は前後左右に四材を矧ぎ寄せて構成する(注2)。その形制を記述する。胸もとを斜めによぎる僧祇支をつける。右肩から偏杉をかけ,さらに袈裟を左肩からかける。袈裟は右肩にも少しかかり,また左胸の横に鍛を表して袈裟を吊る(いわゆる鍛袈裟)。裳をはき,右腔の外側でこれを打ち合わせる。左手は屈臀して胸前で仰掌,第一・三指を相捻じ,第四指をこれに添えるように曲げる。右手は垂下し,全指を伸ばす。蓮華座に立ち,その周囲に尾をひく涌雲をあらわす。同時期,すなわち無位時代の他の快慶作品と比較した際,これまでにも指摘されているように(注3)その衣文形式に差異がある。他の快慶作品の場合には,体部正面の衣文は次の三ブロックに分けられる。第ーは腹部の衣文で,U字形ないし逆向きの放物線をほぼ平行に縦につらねる。第二•第三のブロックは両脚部のそれで,両腰脇から縦に流れ落ちる線が左右対称に整えられるのを常態とする。-160-

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