鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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(2) 兵庫・安養寺像これに対して浄土寺像の場合には,腹部から脚部にかけてU字形を縦に長く連ねるもので,これは浄土寺像が本様とした宋画に源をもつものであろう。ただし,快慶もアメリカ・バークコレクションや東大寺公慶堂の地蔵菩薩立像など,やはり袈裟を左肩で吊る形式の像では浄土寺像にやや近い衣文の表現をみせるが,浄土寺像のそれは写実の意図をはなれた無機的な性質のものであり,やはり図像(この場合宋画)写しの性格を読みとるのが妥当であろう。ところで近年,浄土寺阿弥陀三尊像の本様となった宋画について考察するためにきわめて重要な作品が,山本泰ー氏によって紹介されている(注4)。愛知県西春日井郡西枇杷島町西方寺所蔵の三尊像(掛幅装,縦121cm•横60.8cm)がそれで,これまで知られていたいずれの画幅よりも浄土寺像に近い形制を有する。山本氏が述べられたように,浄土寺像の本様となった『南無阿弥陀仏作善集』所載の唐本画像そのものとは断定できないにもせよ,それと同じ系統の画像であることはうたがいない。しかし一方,やはり山本氏が指摘されたように,両者の間には次の諸点において相違もある。① 浄土寺像は皆金色像だが,西方寺像は彩色像。② 浄土寺像の両脇侍はヴェールを表現しないが,西方寺像はこれを表す。③ 浄土寺像の蓮華座は踏割蓮華座ではないが,西方寺像は三尊とも踏割蓮華座。④ 光背は,浄土寺像では二重円相光に筋光の附属する形式だが(両脇侍は頭光のみ),西方寺像では各一重の円相光で中尊には舟形の挙身光が付く。これらの諸点につき,山本氏は技術上の問題に重源と快慶の好みが加わった結果と考えておられる。要するに意図的な選択とみるわけである。本像はくわしい調査ができなかったため,神戸佳文氏の報告(注5)によって記述する。本像は当寺本尊。像高97.8cm。肉身は漆箔,着衣は金泥塗だが,ともに後補。玉眼鰍入。構造は不詳。僧祇支をつける。偏杉はつけない。袈裟を偏担右肩につけ,右肩に少しかける。袈裟の末端は左肩ではなく左前膊にかける。裳をはく。左手は屈臀して掌を正面に向け,第一・三指を相捻じ,右手は垂下して全指を伸ば-161-

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