鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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めに造る上品な甘さのある面貌は,嘉禄二年(1226)の銘札を納入していた東京•本す。豊かな頬張りと生気に満ちた表情,量感のある体艦などから,神戸氏は鎌倉時代前期の作とされ,とくに神奈川・浄楽寺阿弥陀像との面相の類似などから,建久年間(3) 滋賀・聖衆来迎寺像聖衆来迎寺客殿内仏堂の須弥壇左脇に安置されている。伝来不明。玉眼を入れ,漆箔(後補)をほどこす。像高82.1cm。頭・体を通して幹部は前後に矧いでおり(-木割矧造か),割首とする。左手は屈腎して掌を正面に向け,第一・三指を相捻ずる(第四指の第二関節半ばから先は後補だが,印相は当初のままとみられる)。右手は垂下し,やはり掌を正面に向け,全指先を伸ばす。袈裟を偏祖右肩につけ,右肩にもかける。その左肩にかかる末端部は腕にはかぶさらない。僧祇支・偏杉はつけない。裳は右腔の外側辺で左を外にして合わせる。いわゆる運慶様の如来形の着衣形式(注6)とは異なるわけだが,目鼻立ちを小さ願寺阿弥陀如来立像などに近いかと思われる。本願寺像は運慶の子康勝の周辺の慶派正系仏師の作と考えられている(注7)が,本像も,後頭部の螺髪が人字形に配列されるところなどから,慶派系の仏師の手にかかるとみたい。左足を少し前に出し,腰を少し右にひねるが,よく見ないとわからない程度のもので,側面観からは運動感を感じない。裳裾も左右には張るが,後方にたなびく表現はない。(4) 京都・悲田院像(その一)京都東山の泉涌寺塔頭悲田院に伝来。本堂右脇壇に安置される客仏で,当初の安置場所は不明。像高は80.5cm。漆箔像だが,現在の箔は後補と思われる。玉眼を嵌入する。頭・体を通して幹部は前後に矧いでおり(割矧ぎか),三道下にて割首とする。さらに面部を割り矧ぎ,玉眼を嵌入する。背中の上部を襟下8cmの高さでいったん切り取り,さらにこれを左右に割っている。納入品の奉籠あるいは取り出しのための所為か(1190■99)頃の運慶周辺の作と推定されている。-162-

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