鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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と想像するが,当初の仕事ではなかろう。袈裟との区別が現状ではやや曖昧ながら,おそらく僧祇支をまとうとみられる。偏杉はつけず,袈裟を偏担右肩にまとうが,右肩にかかる部位は右腎の後ろまで長く垂下し,これに応じて袈裟の縁を広く折り返しながら腹部をおおっている。ただし,袈裟の再度左肩にかかる末端部は腕にはほとんどかぶさらない。裳をつけ,左を外にして右腔辺で合わせるが,その縁は右胚から左足首にかけて斜めにかかっている。現状では,左手は屈腎して掌を正面に向け,第一・三指を相捻じ,右手は垂下してやはり掌を前に向け,同じく第一・三指を相捻ずる。しかし右手の腎から先のすべてと左手首先は後補と思われるので,当初の印相は不明とするしかない。次にその衣文をみると,脚部前面の衣文を省略した個性的なもので,腹部ないし袖部においても衣文の数の省略がめだつ。頬の張った丸い面相や後頭部の螺髪が人字形に配列される点などから,慶派系の仏師の作と推定したい。どちらかといえば,安阿弥様の系譜上にあるようにも思われるが,僧祇支の着用や垂下する手の腎までをおおう袈裟の着方などに異質の要素も認められる。制作期は十三世紀も半ば以前か。偏杉を着けない点は先述の聖衆来迎寺像に通ずる。(5) 東京国立博物館像本像については実査をおこなっていない。金子啓明氏の論考(注8)にしたがうと次のとおり。本像は京都・泉涌寺旧蔵。像高100.0cm。檜材を用いた寄木造あるいは割矧造。玉眼を嵌入し,像表面は黒漆地に金銀の蒔絵による文様を表す。両足首以下を別材で長靴状に造って像底に差し込み,また銅製鍍金の足柄を踵裏から差し込む点は珍しい技法である。左手は屈腎して胸前で仰掌,第一・三指を相捻じ,第四指も少し曲げる。右手は屈腎して垂下,全指を伸ばす。印相のみにとどまらず,全体の姿勢や表情,衣文形式のほか衣の質感表現にいたるまで,南宋時代の仏画にきわめて近い。しかし日本産の檜を材とすること,中国彫刻に例のない玉眼嵌入像であること,南宋から将来された同時代の仏像の作風とは懸絶することなどから,日本で制作されたと考えられる。-163-

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