(9) 大阪市立美術館像本像はその尊名を断定できない。現在は鉢(蓮台付)をとることからすれば薬師如米ということになるが,この鉢は後補であるから,阿弥陀と考えることのできる余地は残されている。本像はもと個人所有の作品で,近年に大阪市立美術館に寄付された。像底の墨書(近世)によればもと花林院にあり,この寺が焼亡した際に来迎寺の三人の僧によって救い出されたというが,花林院・来迎寺ともに所在地は不明である。像高61.8cm,檜材製で,ー木割矧造か。肉身部は金泥塗,着衣は漆箔。像底に径2.3布する。袈裟を偏担右肩につけ,右肩に少しかける。偏杉・僧祇支はつけない。裳は正面中央で左を外にして合わせる。左手は屈臀して仰掌,鉢をとるが,指の全てと鉢ともに後補であり,当初の印相は不明。右手は垂下し,全指を伸ばす。右足を少し前に出して立つ。逆手の薬師ないし釈迦如来は宋・高麗ともに遺例をみないかと思われ,裳裾を後方に引きずってゆるやかな動きをしめす点や腹を突き出したやや肥満した体型からは,宋画ないし高麗画の逆手の阿弥陀像を祖型としたことを想像させないでもない。やや小さめの顔や目鼻だちが小さく集められた上品な表情は,宝治二年(1248)銘の福井・竜前区薬師如米立像や正嘉二年(1258)銘の京都・報土寺阿弥陀如来立像などに通ずると思われ,本像もほぼ十三世紀中頃の作と推定したい。報土寺像の作者は藤井影光という俗名をもつ仏師であった。本像も慶派とも院派・円派とも異なる作風をしめすように思われる。なお滋賀・石馬寺や愛知・万松寺には垂下した左手に鉢をもつ高麗画の如米像があり,これを阿弥陀如来とみる意見もある(注15)が,尊名の比定は今後の課題である。(10) 滋賀・極楽寺像本像は斎藤望氏によって紹介されている(注16)。像高98.8cm。檜材の寄木造,玉眼嵌入。やや踏み出して立つ。江戸時代の作。cmの丸柄孔をうがち,これに台座から出した柄を差して立てる。像内体部に黒漆を塗左手は屈腎して仰掌,第一•四指を相捻じ,右手は垂下して全指を伸ばす。右足を-167-
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