鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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本像は極楽寺本尊であり,薬師如来としてまつられている。しかし斎藤氏の指摘されるように,現在の手のかまえからすれば,薬師よりも逆手の阿弥陀とみるほうが穏当かもしれない。参考作品としてここに掲げる。以上,実査をおこなった像および先学の研究によって概要のわかる逆手米迎印阿弥陀彫像について検討をすすめてきた。その結果をまとめると別表のようになる。結論的にいって,とくに顕著な傾向というようなものは抽出しにくい。現在の所蔵寺院の宗派も様々だし,分布は畿内とその周辺に集中するが,それが何を意味するかは不明である。構造についても,東博像と悲田院像(その二)を除けば,同時代の他の仏像と比べてとりたてて特色があるわけではない。制作年代については,十二世紀末から十三世紀中頃までの半世紀余の間の作例が多い。いわばこの半世紀は,逆手来迎印という新奇な印相の研究の時期であったといえるかもしれない。同時に,この時期は重源や俊杭その他の入宋僧によって,宋の文物が集中的に将来された時期でもあったはずである。したがって,宋文化導入の盛衰と逆手来迎印というものに対する注目とが,ある程度の相関関係にあったとしても不思議ではない。着衣形式についていえば,すでに宋画のなかに,僧祇支・偏杉・袈裟・裳の四点を身につけるタイプ(愛知・西方寺本画像や京都・知恩院阿弥陀浄土図の阿弥陀像など)のほか,偏杉を身につけないタイプ(京都・清浄華院本三尊画像の中尊など)があり,また東京国立博物館像や京都・戒光寺釈迦如来立像のように,形式・作風の両面で忠実な宋代美術の再現をめぎした作品が僧祇支をつけないところをみると,宋においても複数の着衣形式があったのだろう。聖衆来迎寺像と大阪市立美術館像のように袈裟と裳以外は何も身につけないタイプのものも,宋画ではないが,高麗仏画を代表する大作である至元二十三年(1286)銘の日本銀行本阿弥陀如来図に類例をみることができ,宋代にも同じ形式が存在した可能性はある。印相についても事情は同様である。表にまとめたように,左手は屈腎して仰掌し,第一・三指を相捻じて第四指をこれに添えるように曲げ,右手は垂下して全指を伸ばすという印が最も多く,これは西方寺本阿弥陀三尊来迎図・知恩院本阿弥陀浄土図の宋画二作品の中尊に一致する。そのほかには安養寺像・聖衆来迎寺像のように左手を正面に向ける例があった。類例を大陸に求めると,大阪・法道寺の高麗画の阿弥陀三-168-

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