似1)『南無阿弥陀仏作善集』に「播磨井伊賀丈六奉為本様画像阿弥陀三尊ー舗唐筆」と(19) 中野玄三『来迎図の美術』(同朋社出版,昭和六0年)概説・第一章江の美術と民俗』平成六年,思文閣出版)(17) 鄭子澤「高麗時代の阿弥陀三尊図」(『泉屋博古館紀要』五,平成二年)(18) ただし左手の第一•四指を相捻ずる。これは彦根・極楽寺像と同じ。⑳) 奈良・伝香寺地蔵菩薩立像に納入されていた版本細字法華経は南宋の紹興二十九が,右手を垂下し,左手は掌を正面に向けて立てていることにも注意しておきたい。奈良国立博物館『東アジアの仏たち』(平成八年)図版解説参照。あるから,新大仏寺像と浄土寺像は本来同じ形制を有する像であったはずである。四)水野敬三郎「宋代美術と鎌倉彫刻」(『国華』一000,昭和五二年。のち同『日本彫刻史研究』所収,中央公論美術出版,平成八年)〔付記〕大阪市立美術館像の調査に際しては,同館藤岡穣氏のご高配に預った。その他の像の実査に際しても,所蔵者各位の多大なご協力を頂戴した。付記して深謝申し上げたい。年(1159)以前の刊行というが,その見返し絵のなかに描かれた阿弥陀如来立像-171-
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