鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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1900年代とは微妙なズレを見せながら移動していった。既に1900年代に知覚の分析かの回帰があった(注7)。さて,1920年代初頭のフランスでセザンヌが,美術愛好家にとっても作家たちにとっても気になる存在として再び注目の対象となったとすれば,1900年代と同様に単なる流行を越えた美術界を決定付ける大きな動機付けがあった。それは,第一次世界大戦終結後の復興という社会的政治的な大きな流れと関連して美術界に発生した“秩序への回帰”運動である。それはまた,同時代のダダイスムなど反秩序を旗印とする運動に対する批判的運動として展開した。バシェール,アンドレ・ロート,グレーズ,メッツァンジェらは,立体主義に秩序への回帰,忘却されたフーケ以来のフランスの伝統的な手法の再発見を求め,そこに近代絵画の可能性を見た(注8)。セザンヌ絵画が再び注目されるのは,この文脈においてであった。しかし,セザンヌ評価の視点はら抽象化と総合化へと達する手法をセザンヌの手法として観察していたエミール・ベルナールは,1920年代になると,美術館に納められた古典作品に見られる理想的形態表現の適用を主張して,自然の知覚から秩序を発見しようとするセザンヌの姿勢に不満を表明し,生前のセザンヌとの間で密かに交わした論争を表面化させた(注9)。一方,アンドレ・ロートは,1900年代のドニの視点を継承しながらセザンヌ固有の造形秩序を摘出した(注10)。ドニは,1907年にセザンヌを古典主義者として評価するが(注4のドニ論文),ドニにとってセザンヌの古典性とは,主体と客体の調和,知覚と様式の融合,感覚的な要素を秩序付けながら画面に再現しつつこれをさらに高次の自律的秩序として実現する点にあった。ロートもまた,セザンヌ絵画の表現内容を感覚感覚から生まれた感情としながら,ベルナールのセザンヌ批判を批判して外的な既成の秩序ではなく知覚の中に固有の秩序を発見する行き方にセザンヌの独自性を主張した。そして,既にドニが主張した画面の自律的な造形秩序を具体的に「類似,呼応,反復の体系」などとして摘出した。他方,オザンファン,ジャヌレなど1920-1924年にかけて雑誌『エスプリ・ヌヴォー』を主催したピュリスムの作家たちは,幾何学的構成美を重視して,アングル,コロー,スーラをこの視点から評価し,機械や建築の機能美を近代的な美意識として主張する根拠として,古代,古典美術以来継承されてきた伝統的な構図,画面分割の幾何学を再評価した(注11)。セヴェリーニの「セザンヌの美学とセザニスム」は,この立場からセザンヌの美学-176-

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