とセザンヌの感化を受けた絵画(特に立体主義)の美学を分析したテキストであった。彼は「自然に即してプッサンをやり直す」(初出は1921年のベルナールのテキスト,注9),「印象主義を美術館の作品のように堅固にする」というセザンヌの命題でもあり位置付けでもある定説を再吟味し,セザンヌの個人的な感覚を組織立てることで達成された幾何学的外観が厳密な意味での幾何学を絵画へ適応した構成ではなく,この意味で真の古典主義とは言い難いとした。セザンヌを評価したドニ,ロート,セザンヌを批判したベルナール,セヴェリーニの間には,古典性を巡る認識の転倒と価値観の対立があるものの,1920-21年に発表された彼らのテキストにはセザンヌに関する,次のような共通の認識が前提されている,と見てよいだろう。それは,自然から得た具体的な感覚から出発してこれを秩序付けていく,いわば“内在的な組織化”と呼ぶべき制作法であり,これこそ1920年代に定着したセザンヌ像と言ってよいだろう。これを,“知覚主義”的なセザニスムととりあえず呼んでおきたい(注12)。そして,セザンヌ絵画を特徴付ける<画面の自律的秩序〉の分析に努めたドニやロートのテキストには,知覚主義からいわゆるフォルマリスムヘの微妙な傾斜が認められるが,この立場は,同時代のクライヴ・ベル,ロジャー・フライなどイギリスの批評家たちの間で明確に表明されていくことを付け加えておきたい(注13)。2) 1920年代初頭の日本のセザニスム~覚主義から人格主義へ1900年代,日本人が印象派を受容し始めた頃,彼らが印象派に深い関心を抱いたのは,印象派に日本美術との共通点を発見したためであったことは意外と論じられていない。竹内栖鳳は,1900-1901年パリ万国博覧会の視察のためヨーロッパに滞在した後,帰朝講演会を行ったが,そこで西洋画と日本画の違いを“写実”と“写意”にあるとしながら,当時のヨーロッパの最新の絵画に日本画との類似を発見し報告している(注14)。同様に,1900年から1902年までイギリスに滞在した夏目漱石も同様の現状認識の下に帰国したように思われる。漱石が1906年に発表した『草枕』の中で展開した絵画論は,文人画を出発点としつつそこでは実現されていない主観的な絵画の可能性であったが,そこで漱石は3つの絵画について語っている。それは,物をそのまま描いた絵画,物と物に対する画家自身の感じ方や見方を描いた絵画,物を借りて目に見えない画家の“心持ち”を表現した絵画であったが,こうした分類には写実主義絵画,印象派,ポスト印象派の絵画,象徴主義的な絵画というフランス近代絵画の進展-177-
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