鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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(4) この他『図説カタログ(Catalogoillustrato)』Venezia1897には載っていないか,1870-77年に駐日イタリア大使を務めたフェー・ドスティアーニ(Fed'Ostiani) La Vita Italiana, III fascicolo XVIII 1 sett. 1897, p. 433(再録L'artemondiale a Venezia 1897, Napoli 1897,p.279.)及びUgoOj etti, L'arte moderna a Venezia, Roma 1897,p.231. 都1986,21-43頁。(6) 『日本美術協会報告』明治30年5月111号12-13頁に「我美術に対する欧少卜1人の意Storico, Scatola nera 6.この第3項は最終稿では第1項に含まれることになっ12月9日付けの書簡(同15-16頁)を以って受諾している。(9) 外務省外交史料館『伊国威尼斯府二於テ万国美術博覧会開設ノー件』受第1691号,1896年1月15日ヴェネツィア日本名誉領事グリエルモ・ベルシェーの外務大臣原(5) 日野永ー「万国博覧会とH本の「美術工芸」」吉田光邦編『万国博覧会の研究』京(7) Processo verbale delle adunanze de! Comitato ordinatore, ASAC, Fondo ツィア現代美術史料館ArchivioStorico delle Arti Contemporanee(以後ASACと略称する)の「1897年出版物」の箱にも保存されている)。このコレクションの中では薩摩焼きの「観音像」が最優作といわれていた。この「観音像」も含めて数点の写真資料が我々に伝わっている。伯爵のコレクションが,閉会間際になって展示されたことが次の二つの美術批評から窺える。VittorioPica, "L'arte giapponese all'Esposizione di Venezia" in 向を知るを得て,来る明治三十三年巴里大博覧会の準備上にも亦有益なれば,宜しく多少の出品を為すべしと議決」とある。た。(8) ヴェネツィア市長フィリッポ・グリマーニから日本美術協会会頭佐野常民伯爵に正式な出品要請がなされるのは,1896年10月1日付けの市長の書簡(『日本美術協会報告』明治30年5月111号13-15頁)によってであり,これに対して佐野は同年敬宛書簡添付の新聞記事切り抜きに,市長グリマーニの談話として「他の都市がこの美しきイニシアティブを我々から奪うこともありうる(altrecitta potrebbero strapparci citta la bella iniziativa)」という文言が見える。この記事は,今回の調査でGazzettadi Venezia 1896年1月13日号に市長グリマーニではなく,ヴェネツィアの服飾文化史家で市議会議員のポンペーオ・モルメンティの講話とし-8-

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