鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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『働くものからみるものへ』(1927年)(注32)の中で西田の要約した“形”としての西洋文化に対する“形なき形”としての東洋文化の対比という視点へと矛盾なく展開していく西田独特の芸術鑑賞の視点であり,またこれこそ1910年代以来多くの日本人がセザンヌを受容しセザンヌについて語るにあたって説明抜きで着目してきた視点であったと思われる。西田が“人格”という概念に哲学的反省を加えるまで,“人格”が自明の言葉として美術批評に使用されてきたという状況があったとすれば,それは“人格”が言語化し難い直感の領域を指していたからだとも考えられよう。いずれにせよ,フィードラー,ヒルデブラント,ベルクソンの芸術論を吸収しながら,“人格”を主客合ーの状態として位置付けた西田の視点は,初期の印象派受容者たちが念頭に置いていた,“気韻”や“心持ち”といった情緒的理解から脱却した高次の視点に立つもので,芸術家の眼と手の行為的な直感活動の所産として芸術を理解していくものであった。西田の芸術論の誕生は日本とヨーロッパの芸術論が交差し合流していく状況を端的に物語っているが,そこには相反もあった。西田が明晰に言語化した東西文化の違いを,セザニスムという領域で整理すれば,1910年代から20年代の両者の違いは,知覚主義からフォルマリスムヘ(技法や形式の分析:フランス)と知覚主義から人格主義へ(生命の流れやリズムの直感:日本)という二つの異なった極へと展開していったと整理することができよう。絵画という現象の表と裏に,表面と深層に両者の関心が分かれたとも言えよう。西田はゴッホをはじめ多くの西洋画家について語りながらセザンヌについては触れていない。彼の理論と一つのコンテキストを形成する形で,セザンヌ解釈の領域で“人格主義”を実践したのは,美術史家,中井宗太郎であった。中井は,1922年の『近代藝術概論』において,西田が哲学的に整理した“人格”という共通の視点から,マネ,クールベ,モネなどを取り上げフランス近代絵画史を論じたが,セザンヌについては,ベルナール,ドニ,ガスケを読みこなし彼らによって指摘された色彩,組立など技術論的特徴を引用ないしは要約して紹介しつつドニ,とりわけ,ロマン主義美学に立脚するガスケが強調した“主観と客観の融合”という視点に着目して,セザンヌ絵画の意味内容を,セザンヌの“人格”,つまり主客合一の中で把握される“生命”,“主能”,“リズム”,“宇宙精神”とした。ヴォラールの逸話を夫人と共同で翻訳もしていた中井は,ベルナール等のテキストを通じてセザンヌの人柄や生き方についてかなりの情報を得ていたと推量されるが,その種の情報と人格とは別個の事柄として記-181-

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