注(2) 拙稿,『1910年代前後の日本におけるセザニスム(セザンヌ芸術の受容と紹介)』,年7月/同上訳,「太陽」,『芸術』第2号,1913年)。ドニの原典の所在は,稲賀繁ーする国家主義的思想へと展開していくことは周知の通りである。それはセザンヌ個人の思想と何ら関係のない思想への変容であった(注38)。しかし,西洋と日本の美意識の合流と相反から生まれた1920年代初頭の日本のセザニスム(知覚主義から人格主義)は,翻訳によって同時期に紹介された,フランスのセザニスム(知覚主義からフォルマリスム)とは,主体と客体の融合という同じ出発点に立ちながら(注39),異質な鑑賞形式として展開していく。それこそ,1910年代から始まり1920年代に頂点に達する日本独特のセザンヌ受容の形式で,日本の芸術観や自然観の伝統を抜きにしては誕生し得なかったであろう。そしてまた,上辺だけの流行や根拠のない神格化とは異なり,当時の芸術論的,かつ哲学的な文脈の中で必然的に誕生したセザンヌ受容の一形態であったことを最後に強調しておきたい。(1) Gino Severini, "Esthetique Cezanne et le Cezannisme", Esprit Nouveau, 平成元年度科学研究費補助金(奨励研究A)研究成果報告書,平成2年3月。(3) 受容という問題を作品の解釈の問題として捉え直せば,受容の可変性は,例えば,以下の論文を理論的根拠として挙げることができよう:NormanBryson, Looking (4) 原典は下記の通りであるが,これらの幾つかは既に邦訳され紹介されていた。邦訳の初出状況は原典情報の末尾に付け加えた:巻第5号,大正14年(1925),2-22頁)翻訳,『白樺』第4巻11号ー第5巻第5号,1914年)(1996年5月15日脱稿)at the Overlooked-Four Essays on Still Life Painting, London, 1990. Gino Severini, op. cit.(小山敬三訳,「セザンヌとセザニスム」,『アトリエ』第2Emile Bernard, Souvenirs sur Paul Cezanne et lettres, Paris, La Renovation Esthetique, 1920 et 1921 (1907年のメルキュール・ド・フランス初出から有島生馬Maurice Denis, Theories, 1890 -1910, Paris, Bibliotheque de l'oc-cident, 1920 (1912年初版,田中喜作訳,「セザンヌ論」,『早稲田文学』第80号,1912NOS. 2 (pp.1258-1266), 13 (pp.1462-1466), 1921. -183-
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