鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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⑭ 関東地方の出土金銅仏に関する基礎的研究研究者:トキワ松学園横浜美術短期大学専任講師山田磯夫ここで取り上げる出土金銅仏とは考古学的発掘調査や農作業・土木作業に際して土中から偶然発見された金銅仏を指す。出土遺物とはいえ彫刻としてみる限り一般の小金銅仏と区別すべき点はほとんどないが,像高に関していえば10cm前後のものが多く,最も小さなものは2cm程度とかなり小さい。それゆえ関心を持たれることが少なく,また個人所有のものが公にされることもまれなため,これまでほとんど美術史的調査がなされることはなかったのである。そこで筆者は,平成4年からこの出土金銅仏の調査を手がけ,平成5年にはその成果の一部を発表し(注1)'その後も継続的に調査を進めて現在に至っている。確認調査のできた出土金銅仏の総数は別表のごとく115件である。本稿では出土品,あるいは伝世品であってもかつて土中したと見なされるものを取り上げ,現状でわかりうるいくつかの特徴について報告したいと思う。1.出土地域これら金銅仏の出土地を古代から中世にかけての地図に落としてみると,それらはみごとに古代の道に沿った地域や国府・国分寺周辺に集中していることがわかる。まず東山道に沿ってみると,群馬県では東山道の北側の前橋市(上野国府)周辺と南側の上野三碑の内の多胡碑で知られる多野郡に集まっており,栃木県に入ると現在の足利市・佐野市・栃木市(下野国府)・那須郡に集中している。東海道に沿った地域では東山道ほどの顕著な傾向は見られず,常陸国と下総国の境である利根川流域に集中している。また,上野国府と武蔵国府の間の鎌倉街道(古東山道あるいは古東海道)沿いにも出土地が点在する。次に国府及び国分寺周辺では前述の上野国府や下野国府よりも数は少ないが,上総国・下総国・武蔵国からの出土例が確認できる。このほかやや特殊な出土地としては,栃木県の男体山頂上や群馬県の榛名山と赤城山の南麓が指摘でき,これらの遺物は山岳信仰との関わりを想定することができよう。以上のように,出土金銅仏の発見場所は各地域の交通の要衝や政治•仏教の中心地に集中しているが,古代から中世の物資の流通ルートに沿って金銅仏が出土することは,ある意味で当然ともいえよう。-188-

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