鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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像」(京都不審庵),「日通上人像」(京都本法寺)や「妙法尼像」(京都本法寺)は,等伯の肖像画としてイメージしやすい作品である。信春時代の肖像画の作風について,「伝名和長年像」など「肥痩のない巧緻な輪郭線と華やかな色彩が,像主の横に描かれた鷹や馬,小姓等の点景物とあいまって,絵画的な,あるいは風俗画的な効果を示していた。面的な描写よりも,絵画としての形や色彩の巧に重点が置かれがちであった」とし,等伯の晩年の「H通上人像」は「殊更そのような絵画的な効果を意図してない。肥痩のある柔らかな筆線で,なんのてらいもなく,淡々と描きながら,体躯は驚くほど的確に捉えられ」日通の人格をありありと写していると,作風の違いを指摘され,それぞれについて似絵的,頂相的という言葉で表現されてきた(橋本綾子「等伯の信仰と日通上人像」『國華』901,1967年)。あるいは,前者を「精緻を極めた描写と鮮麗な着彩に独特の特色が認められるが,その堅実なデッサンカは,抜群であ」るとし,後者を「信春時代の肖像画とくらべると,総じて描写が簡潔になっているけれども,さすがに面貌の描写には鋭い迫真力がみられ,各人の個性的特色が生き生きと捉えられている」(土居次義「長谷川等伯」『日本の美術』87,至文堂,1973年)と,比較し特徴付けられてきた。石川県長齢寺の「前田利春像」は,前田利家が天正9年に能登に入国し長齢寺創建に際して,父利春の菩提のために寄進したと伝えられている〔図6〕。この画像は像主の前に捧げられた天目台や,小姓が二人描かれていることなどの図様構成が,「伝名和長年像」を想起させ,土居次義氏が等伯筆の可能性をかつて示唆されており,信春時代と等伯時代も含めた等伯風の画風というものを強いて具体的に浮び上がらせる素材となりそうである。たとえば,ここに永青文庫蔵の「細川幽斎像」(画面上部色紙形に自筆和歌賛)を並べたとき,利春像との近似性は指摘できないだろうか〔図7,8〕。図様の上では,やや仰向いた加減の顔,右膝を高くした,かしこまってはいないポーズ,長い指などが。表現技法では明るい色彩,衣裳に緻密な文様を描き込むこと,そして衣服の装に沿って柔らかな隈を施していることなどである。もし,相違点をあげるなら,利春像よりも更に熟練した幽斎像が,細い墨線を引き重ねた肉身部の輪郭線や淡い隈は非常に繊細で,より柔らかで生きた人間の自然な雰囲気を表しており,等伯時代の画風に近い点である。(中略)描かれた像主は,内-200-

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