鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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年5月の条にも合致していることが知られている(図録『松井家三代』,八代市立博物細川幽斎の画像は他に,以心崇伝の賛のある天授庵本が重要文化財指定でもあり,有名である。両本の制作事情については,江戸後期に編纂された細川氏の正史「綿考輯録」に記述があり,泰勝寺に伝来した永青文庫本については,「御絵師田代等有筆なり。ーに京,車屋町御屋敷にて土佐光興におかかせなられ候」とあり,直筆の色紙を細川三斎が画面の上部に貼らせたという。ただし,等有は江戸中期の人であり,筆者を三斎に仕えた矢野派の祖,田代等甫と推定されてきた(大倉隆二「熊本の近世初期肖像画」『熊本史学』55• 56,熊本史学会,1981年)。一方の重要文化財天授庵本については,慶長17年(1612)に,三回忌のために幽斎夫人の御好みで画像と賛文ができたことがかかれており,この事については賛者以心崇伝の「本光国師日記」の慶長17館,1995年)。両本とも夫人像が加えられ対幅の夫妻像となっており,図様はそれぞれ合致するが,どちらも絵の質からいうと重要文化財の天授庵本より永青文庫本のほうが,実は,オリジナルである可能性がたかそうである。「綿考輯録」の以心崇伝に関する記述は確実と思われるが,江戸後期編纂の史書である。画像の制作は,本当に,どちらも慶長17年なのであろうか。等伯も幽斎も慶長15年に亡くなっているが,特に永青文庫本については,それ以前,等伯筆の可能性もあるのではないだろうか。もう一点,等伯の画風の肖像画をあげておく。近年,黒田家1日蔵の「黒田如水像」(慶長年間春屋宗園賛)など,等伯の画風との関連も指摘されはじめている(中山喜一朗「黒田家伝来『如水居士像」の周辺」『デアルテ』1,九州藝術学会,1985年)が,新出の「黒田長政像」も紹介する(相沢正彦氏より御教示をうけた)。祥雲寺所蔵の本画像は,元和9年(1623)江月宗玩の賛文が書かれている〔図9〕。江月の名からは,堺の町衆や茶人などの文化サークルが想起される。元和9年に等伯は生きてはいないが,江月は茶人津田宗及の子であり,等伯が肖像を描いた春屋宗園を師としており,等伯はその人間関係の輪にまったく無縁とは言えない存在である。また,黒田如水も長政も春屋に帰依している。画風は,先程の細川幽斎像と共通点が多いように思われる。これらの作品を続けてみたとき,等伯筆と断定できるかどうかはともかく,等伯風の肖像画が江戸初期に複数あること,そして,それらに共通して像主や賛者が,堺や京都の,特に利休をはじめとする茶の湯に関して高名な文化人と関わることが気付か-201-

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