鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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4.武将の肖像画治3年(1557)以降に現れたりすることから,「生地の違いによるものか,時代様式でれる。今後,更に検討してみたい。戦国武将の肖像画は,服装で大別すると,大紋・素襖を含む直垂形式,肩衣袴(江戸時代にはいわゆる枠),束帯,法体に分類できる。肖像画では,それぞれの階級での公的な服装で表されるようで,元来は下層武士の服装が次第に上位の人々に着用され,公的な場でも許されるようになることを「衣服の形式昇格」というが,肖像画も各時代の服飾の歴史を反映するものとして,服飾史の研究上言及される(丸山伸彦「武家の服飾」『日本の美術』340,至文堂,1994年)。俗体の武将像について,もし大きく分けるなら,直垂形式や肩衣袴について,鋭角的に肩や袖,袴のはったものと,柔らかくしなったものとに分け得る。丸山氏は,直垂より簡略でくだけているが後に形式昇格した肩衣の場合について,肖像画などに弘あるのかは判別しがたい」が「室町時代にも後世のごとくに肩の張った肩衣のあった可能性が示唆されて」いるとかかれている。これは,肩衣が江戸時代に武士の公服となり,次第に,肩に鯨の蹟を用いるほど,極端に肩を張らせるようになった,という服飾史での定説に関わる記述であるが,直垂形式についてのそれも,服飾の様式に起因するのであろうか。直垂形式の肖像で,衣服が鋭角的に張った形と柔らかく曲線的な形とは,十五世紀半ばから十六世紀初頭という早い段階で両方がみられる。例えば,「多賀高忠像」(京都芳春院),「宇喜多能家像」(岡山県立博物館),十六世紀半ばの「毛利元就像」(山ロ豊栄神社)も前者に属し,この形は十七世紀初頭まで続き,しかも現存作例ではこちらが多いようである〔図10〕。後者に属するものでは,「益田兼党像」(益田市立雪舟の里記念館),「藤原盛直像」(東京国立博物館),袈裟を掛けているが「龍造寺隆信像」(佐賀宗龍寺)などがあげられる。こちらはやはり作例はずっと少なく,この方が例外的なようである。そして,前者は,平面的で形式的な感じが否めないのに対して,後者は,地方作も含めて独創的で,からだの量感の表出には成功しているように思われる。試みに,制作時代が近く,ともに優れた肖像である「宇喜多能家像」と「藤原盛直像」とを比較してみたとき,肉身部の表現においても,強く固い描線によるシャープ-202-

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