5.おわりに束」として描かれることはありえないのだろうか。つまり,絵画という虚構の中で,武張った正装の演出という意味を,強ばった姿に継承しての「形式昇格」がありえないだろうか。直垂は実際に糊で固く張らせることもあったようであり,素襖も張りのある麻で作られたが(直垂や大紋と素襖の区別は腰紐が白色か,共裂かで区別される),直垂も素襖も同様に固く張った平面的な服装に描かれていることが,そういう意味で説明できないだろうか。直垂や大紋と素襖,肩衣袴は,固く張らせずになえた様子に描いても公服としての意味を失いはしない。衣服を強ばらせることは,かつて強装束が持っていた武士の正装の記号として継承され,肖像画というハレの,そして虚構の場でも,意味を持ったと考えられないだろうか。そして,それは武将肖像画の体部表現がしばしば極端に平面的に固く描かれることについて,単に体部表現に関心が無かったという以上の積極的な意味を見出す手掛りにならないだろうか。服飾史は,絵画という第2の現実の中でみるとき,絵画の時代様式と同時に検討せねばならず,吟味は複雑なものとなるが,着用する階層の社会での立場・意識を大きく反映する点で,肖像画研究には重要だと思われる。戦国期の俗人肖像画は武将肖像を中心に豚しく伝来しているにも関わらず,似絵など鎌倉時代の肖像画を頂点とする縦の時系列による評価の中では,「その他」の肖像画として扱われる事が多かった。この度行なった調査研究の中で気付いたことの一端をここで述べてきたが,これらがいささかなりとも戦国期武将肖像画を中心とする俗人肖像画の積極的な評価に結びついていくことを顛っている。そのためには,賛文の分析を基礎に置きつつ,像主周辺の事情と作品とを有機的に結びつけることによって,制作背景の解明を目指す必要があろう。もちろん,さらに細密な作風の比較検討など,大半の作業が今後に残されており,今回ふれた以外の多くの問題点がその過程で現れてくるものと予想される。当面これらの基礎作業を継続していきたいが,なかでもまずは仏画の手法のみられる武将像「大友宗麟像」,「松井雲江像」などを,頂相や仏画との関連など留意しつつ検討してみたいと考えている。-204-
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