鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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3.京洛地取図貼交屏風探幽が,寛文4年(1664)11月8日に京都を出発し(『隔箕記』),江戸へ下向した折の風景スケッチとみなすことができる。前半部には,三井寺,三上山,唐崎など,近江(現滋賀)琵琶湖周辺の地名が書き込まれているが,後半部は,留書から,桑名(現三重県桑名市),佐屋(現愛知県津島市),熱田神宮(同名古屋市),知立(同知立市),岡崎(同岡崎市),吉田(同豊橋市),浜名湖(現静岡県浜名郡新居町)であり,東海道の宿の順にあらわれている。「近江」というより,「東海道写生図」の大津から浜名湖にかけての部分が遺されたものというべきであろう。岡崎の矢作川にかかる矢作橋,吉田の豊川にかかる吉田橋,これら2図における大橋の描写はなかなか斬新で,二百八間,百二十間とそれぞれ橋の長さが注記されている点も興味深い。本屏風には,スケッチ16図が貼り交ぜられている。漆縁の貼紙墨書に「東海道々中絵日記帳」とあるが,内容から見て「京洛地取図」と呼ぶ方がふさわしい。留書に記された地名は,修学寺(修学院),嵯峨,愛宕,御室,二条,大坂,叡山などとなっているからである。年記は2か所に記されており,第1扇に「寛文四九月朔日」,第6扇に「寛文四九月二日」とある。近江写生図巻の項に記したように,探幽は同年11月8日に京都から江戸へ下向しているので,その2カ月前にあたるこの時期は,京都に滞在していただろう。つまり,これらの図は,近江写生図巻の少し前につくられたものである。一部,筆跡が探幽ではない留書きの図も混入しているが,年記のある描きこみの多い図をはじめ,ほとんどが探幽画とみてよいだろう。丘陵からとらえられた京都盆地の広がりが,とらわれのない眼で描きだされており,ここには,探幽のみずみずしい視覚がしめされている。4.東海道写生図巻大東急記念文庫蔵大東急記念文庫本「東海道」は,全長約12.6m。この巻には,鎌倉(現神奈川県鎌倉市)〜藤沢(同藤沢市)〜大磯(同中郡大磯町)と旅して小田原(同小田原市)の手前あたりまで,ほぼ街道の順に写しつづられている。寺社では,天照山光明寺(現鎌倉市内)•森戸神社(現神奈川県三浦郡葉山町)・亀洛山満潮寺・高麗寺(同中郡大磯町)などの名が見える。また,馬入の渡(馬入川・現神奈川県平塚市相模川の渡し).花水橋(大磯)などの名所も,留書から知られる。-220-

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