鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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■富士山・箱根・天橋立探訪5.富嶽図巻とくに年記はないが,大覚禅師の木像(鎌倉・建長寺)スケッチの傍らの留書に,「六十六にてせんけ(遷化)/三百九十二年忌,弘安元戊寅七月廿四日」とあることから,大覚禅師が示寂した弘安元年(1278)から392年忌にあたる年,つまり寛文9年(1669)が,この旅をした年と判明する。これら東海道の旅における風景スケッチにおいて,描かれた地は,現在の地名でいえば,京都・京都〜浜松・名古屋〜静岡・小田原〜鎌倉と,東海道のほとんどをカバーする。欠けている静岡〜小田原間を,次章に述べる富士・箱根で補えば,京都から鎌倉までつながることになる。むろん,抜けている宿や名所も少なくないが,これらの風景スケッチをとおして,探幽の動き,探幽の見た生の自然を,直接追体験することができるのである。それに,明暦2年(1656)・寛文4年(1664)・同9年(1669)と描かれた年が明確な点,探幽の史料として注目すべきものであることは疑いない。東海道の旅における風景スケッチでは,さまざまな土地土地がほぼ宿順というか道順に描かれていた。これに対し,富士山・箱根・天橋立といった特定の地の風景スケッチがあつめられたもの4件92図を,次に紹介したい。巻頭の年記「寛文二年四月初三日」から制作年が知られる。全長は4m50cmをこえる。箱根から芦ノ湖ごしに富士を望んだ図に始まり,富士山が6回くりかえし描かれている。留書に,本箱根,箱根権現山中,三ツ谷,塚原,原,愛鷹,沼津,吉原などの地名が認められ,箱根から吉原(現静岡県富士市)までの道を順を追ってたどることができる。富士山やその周囲の山々などの風景は,のびやかな墨描によって写しとられ,藍.代諸・胡粉などのみずみずしい淡彩が,実に効果的にほどこされている。『隔箕記』によれば,寛文2年(1662)の探幽の上洛は6月のことであり(6月27B 条),前年12月と当年5月に江戸にいたことが確かめられるため,この図巻が描かれた4月には,おそらく探幽は江戸から遠くない場所にいたと想定される。したがって,本図が描かれたのは上洛途上ではなく,富士山の取材を目的とした旅であった可能性-221-

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