鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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3か月前の年記がある。しかし,他の諸図には年記がなく,筆致からみていくつかの6.富嶽図画冊7.箱根写生図巻大東急記念文庫蔵がたかい。このためであろうか,他の風景スケッチには,図ごとの描写に粗密の大きな落差があるのに対し,本図巻には,いずれの図にも安定した卓抜な描写がみられ,墨のみでなく一部着色が加えられている。全26図。富士山を望む景観のスケッチを画冊に貼交ぜたもの。一部,箱根のスケッチ,夢に見た富士,相阿弥印富士図の模写が含まれているが,その他は,留書や図様から判断して,薩陀峠(静岡県庵原郡由比町)越しの富士山,花水橋(現神奈川県中郡大磯町)からの富士山など,さまざまな視点から望んだ富士山と周囲の風景の現場スケッチである。冒頭の夢見の富士の図に「延宝二年八月十二日夢に見る」という探幽他界のわずか時期にまたがるものと思われる。衰えを感じさせない手慣れた筆致からみて,おおむね寛文年間後半に描かれたものだろう。ことに,富士山の連写というか,富士山をくり返し何度も描いている部分には,山にかかる雲煙のさまざまな変化がとらえられており,大気の変化に対する探幽の素朴な関心が窺えて興味深い。そして,探幽の富士山の絵画化が,実景の観察と密接に関わっていることを示唆するものとして,とくに注目しなければならない。45紙を貼り継ぎ,全長が17mを越える長い画巻である。描かれた内容は,「剣岳」という留書のある,数多の剣が立てられたかのようにみえる図で始まる。その後の図の留書には,宮下・木賀・底倉ノ谷・屏風岳・小地獄・箱根・堂ケ島といった箱根(現神奈川県足柄下郡箱根町)内温泉地の地名が記されており,芦ノ湖(現箱根町)・箱根権現神社(同)と判断される風景が描かれている。なかに温泉らしき描写も見られ楽しい。巻末ちかくには,石垣山(小田原の西)の地名が記されている。この石垣山部分の年記は「寛文八六月廿一日」・「寛文九六月廿一日(ただし「八」の上から「九」が重ね書きされている)」で,それより前の部分にあたる堂ケ島温泉(現箱根町)の年記が「寛文八六月廿三日」,留書「小田原よりみやノ下(宮下)」の年記が「寛文八六月廿-222-

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