鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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8.天橋立丹後図画冊四日」とあって,図と年記の順序,道順が前後している。このように錯簡があるものの,描かれた場所は小田原から箱根周辺であり,筆致も統一しているので,これらの風景スケッチは,寛文8年(1668)6月頃の旅の所産とみなしておきたい。宮津市)を望む図があって,宮津・天橋立など丹後の風景スケッチが始まる。特に注目されるのは,天橋立の景を写した一図であろう。天橋立図といえば雪舟画が著名だが,本画冊の構図は,それとは異なっている。天橋立は,今日でも絶景のひとつに数えられる「斜め一文字」の景に描かれている。図中の留書は,弓木,岩瀧,須津村,溝尻,獅子の渡,由良湊,籠大明神など,天橋立とその周辺の地名である。それらの位置関係から,ほぼ成相寺から天橋立をみおろした景とみることができ,実景の観察のままに写し出したものと考えられる。景観の広がりは,横長の画面に無理なくとらえられており,そのいきいきとした描写から,名勝天橋立を目にした探幽の生の感動か伝わってくるようだ。天橋立につづいて,丹後外宮,内宮などの名が記された丹後の景観を描いた諸図が貼られるものの,その後には,箱根や紀伊由良(現和歌山県由良町)の興国寺(臨済宗法燈派本山)の景など,丹後以外の地のスケッチが貼られている。箱根権現の図にしめされた境内配置は実際と一致。つづく地蔵菩薩像を描いた図は,「大師ノ御作,六道地蔵/御たけー丈,金有,岩きり口仏也」という留書を伴っており,箱根の石仏として知られる六道地蔵をスケッチしたものとみなせる。その次の図には,寺の山とともにネ且師木像がスケッチされている。留書に「油良門前/九十二歳,法燈国師,廣国寺,鷲峰山,……」とあることから,法燈国師が紀伊由良に開いた興国寺のスケッチと特定できる。この一図がはいっているのは,画冊編集時に,宮津の由良との混同が生じ慣れた筆致からみて,富士図画冊と同様,おおむね寛文年間後半に描かれたものとみなしてよいだろう。とくに天橋立・丹後の図に関しては,同時期の旅の所産であろう。一連の図は,道順であるし,統一感ある一定の筆致が認められるからである。以上の風景スケッチの構成について,まとめておこう。6.富嶽図画冊は,後世の編全15図。最初の2図は箱根芦ノ湖のスケッチ,つづいて,行き先に宮津(現京都府たのだろうか。いずれにしても,天橋立・丹後・箱根•紀伊とも,それぞれの閲の手-223-

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