鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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注(1) 脇本十九郎「探幽縮図について」『美術研究』41932年(2) 京都国立博物館編『探幽縮図』上下同朋舎出版1980年・1981年,中野玄三「京(3) 大倉集古館『特別展・狩野探幽縮図展目録』・『大倉集古館蔵・探幽縮図釈文』1981年10月,大倉基佑「探幽縮図ー大倉集古館の縮図類について一」『古美術』601981 集者が意図して富士山スケッチのみあつめ,貼交ぜたもので,さまざまな時期にわたるものと考えられる。7.箱根写生図巻と8.天橋立丹後図画冊は,同時期の旅の所産として風景スケッチの一部がのこったものであろう。7.箱根写生図巻は,東海道,京都一江戸往来の旅の所産の可能性もある。8.天橋立丹後図画冊には,後世の編集者によって,別の時期の旅の所産である風景スケッチが一部混入している。5.富嶽図巻は,事跡との関連から,富士山スケッチのための旅行の所産と考えておきたい。おわりに以上が,《探幽縮図》のなかに含められている探幽の風景スケッチの具体的な内容である。探幽の行動範囲は意外にひろく,御用絵師という言葉から喚起される画人イメージには,修正をくわえなければならないように思う。画人の性格にかかわる問題として重要な事実だからである。今後,これら風景スケッチの整理を基礎として,探幽と現実の風景・自然との関わり,古画模写とスケッチとの共通と相違,その帰結としての探幽の絵画生成のありようなどについて,具体的な考察を進めてゆきたいと思う。風景スケッチの整理・検討と並行して,古画模写についても,公刊された《探幽縮図》を中心に,パソコンをもちいて,留書のテキストデータ入力,整理をすすめてきている。かなりの時間と根気を要する作業だが,ひきつづきつとめ,探幽研究の基礎を形成してゆきたいと考えている。なお,《探幽縮図》には,探幽以外の狩野派画人によるものも少なくない。整理にあたっては,それらを弁別していくよう留意したいと考えている。探幽の画風は,以後の江戸時代絵画にきわめて大きな影響を与えている。画風生成の問題に関わる《探幽縮図》の研究は,探幽以降の江戸時代絵画史研究にとっても有益なものとなるにちがいない。博本探幽縮図雑感」『古美術」571980年7月-224-

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