夢見た無償の恩寵カリタス(慈愛)のしるし(注8)でなければなるまい。私の考察の出発点は,カプチン会に捧げられたこの作品であった。1525年にマッテオ・ダ・バシオによって築かれたカプチン会は,時代の変化に順応していく既存のフランチェスコ会系の教団に飽き足らずに,より徹底した形で,聖フランチェスコその人の清貧と観想の理想に立ち戻ることを目指して発足し,十六〜十七世紀を通じて強い精神的活力と創造力を発揮していた(注9)。バロッチは生涯に少なくとも五つの作品をこの教団に捧げている。上述のクロチッキアに加えて,フォッソンブローネ,モンダヴィオ,ウルビーノ,マチェラータとマルケ地方のさまぎまな地域に向けて描かれたそれらの作品は(注10)'この熱烈な清貧の信奉者たちがそのなお豊かとはいえない経済力にも拘らずこの画家に示した信頼と,さらに画家の側からの並々ならぬ精神的帰依を物語っている。ローマにおける不毛な競争と嫉妬心に傷ついた若く繊細なバロッチが,郷里ウルビーノに見出したフランチェスコ会の精神的庇護,その中でも力プチン会との深い絆によって心の安定を取り戻した,と考えることは,私には自然な帰結であった(注11)。バロッチヘの作品の依頼は,カプチン会を始めとするフランチェスコ会系の教団によるものがその多くを占め,これに後年オラトリオ会との接触が加わる(注12)。教団側が依頼した祭壇画の図像をどこまで細かく指示したのかは定かではない。ただ,私の見るところ,バロッチはカプチン会以外の依頼による作品にさえ,同会の精神的メッセージと呼応するモティーフをしばしば描き込んでいる。おそらく画家と教団の間には,煩雑な指示を超えた深い精神的信頼が存在し,たとえ直接教団が依頼したのではない作品においても,バロッチはもはや自らのヴィジョンともなったその理想を自発的に追求していったのであろう。本稿は,バロッチの主要な作品を素材に,これまで試みられたことのない一連の精神的な読解を通じて,この希有な画家の全体像に少しでも迫ることを目指している。バロッチが繰り返し扱ったテーマのひとつに,すでに見たカリタスの薔薇がある。前述のカプチン会に捧げた作品に初めて現れたこのモチーフは,その直後にウルビーノのサン・フランチェスコ教会のために描かれた,聖母子と聖ユダ,聖シモン,寄進者たちを描いた作品に再び現れる。そこでは幼児イエスが,聖母の膝元で祈蒻書の頁を繰りつつ,聖ユダにこの薔薇を捧げている〔図2,3〕。ユダは慈愛に満ちた眼差しをわれわれに向け,聖なる観想へと誘っている。ユダの抱えているはこやりとシモン-13-
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