鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
241/747

―-230-その顔貌の描写は,細線を繰り返し重ねて形をとってゆくものであり,いわゆるスケッチ風の速写の雰囲気を十分に伝えている。前半の三人についてはその活躍の年代からいって,父隆信の描いた原本を信実が転写したものとも言われ,確かにその描線は安定し整っている。後ろの六人では,顔の輪郭線や鼻梁を描く線が短い間にすばやく交錯しながら続き,短い線の断続的なつながり具合や一定しない墨の濃度によって,いかにもスケッチをしたような速写的な描写がより強調されつつも,未整理で不安定な感じもより強くなっている。衣紋や馬の描写にしても,後の六随身の方は,淡墨であたりをつけた上から濃墨でもう一度描き起こしていると見られる箇所が多く,その場で形をとりながら画面を作り上げていっている様子が窺い知れる。しばしば言われることではあるが,似絵の本領はむしろ信実と同時代の随身を描いた後ろの六人のより粗放な描写によく表れていると言えよう。細線の重ね描きによる描法は,平安時代の『源氏物語絵巻』(徳川美術館・五島美術館)中に登場する男女の貴族達の顔貌にも表れているが,こうした王朝社会における作り絵の重ね描きが極めて精緻で整った画面を作り出しているのと比べると,この似絵の重ね描きの未整理で不安定な感じは,『源氏物語絵巻』の貴族の顔貌描写に似ていながらも,そこから積極的に逸脱したやや異なる質を備えたものであると言わざるを得ない。こうした似絵の描法が生まれたのは,立体を平面に移す際の困難さに起因するという指摘が海老根聰郎氏により既に成されている。氏によれば,中国では肖像画の描法に九朽一罷ということが言われており,これは立体を実際には存在しない線というもので抽象化するために何度もあたりをつけ(九朽),最後に決定的な線を求める(一罷)と言うものであるという(注4)。海老根氏は,九朽一罷について触れる実際の文献資料は掲げられていないが,筆者はわずかに二例だが検索し得た。1・『画継』巻三,周純の項(『画史叢書』本)周純,字忘機,成都華陽人。…画家於人物必九朽一罷,謂先以土筆撲取形似,数次修改,故曰九朽,継以淡墨,一描而成,故曰一罷,罷者,畢事也。独忘機不仮乎此,落筆便成,而気韻生動。毎謂人曰,「書画同一関捩,善書者又先朽而後書耶。」此蓋卓識也。

元のページ  ../index.html#241

このブックを見る