鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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2・『芥舟学画編』巻四,人物瑣論の項(『画論叢刊』本)・・・古人有九朽一罷之論,九朽者不厭多改,一罷者一筆便了。作画無異於作書,知作書之不得添湊而成者,便可知所以作画芙。…これらの例は,スケッチを即完成作に見なす似絵的な作画法を直接指していると言うよりもむしろ,下絵段階でじっくり形を研究し,その上で肖似性の完璧な完成作を作るという職業画家が一般的に行う肖像制作のことをいっているように読め,実例としては頂相制作のための下絵とも言われる「白雲慧暁像」(栗棘庵)のような作品の方がよりぴったり当てはまるように思われる。或いは,土佐光信筆の「三条西実隆像」なども同様の例とできるであろう。しかし,似絵の細線重ね描きも「白雲慧暁像」や「三条西実隆像」も,いずれも完全に線が決定されない未整理で不安定な感じでは共通しており,「九朽」的な試みの中で似絵の描法が成立したとする海老根氏の論には大変共感できるものがあると言える。とはいえ,こうした未整理なまま完成作として提示するという態度は,職業的な画家による一般の肖像画制作にはない似絵に独特の特徴的な態度であるように思われ,こうした製作態度は「九朽一罷」という観点からのみでは十分に説明できないように思われる。ここでこうした問題を考える参考となる一つの作品を提示したい。それは,現在北京の故宮博物院に蔵される王繹.侃瑾合作の「楊竹西像」である。王繹は元時代の著名な肖像画家で,字は思善,自ら擬絶生と号し,杭州に居した。年十二三にしてすでに丹青をよくし,写真を解したという。特に小像に優れ,形似を得るのみではなく神気をも兼ね備えるものであったと評される。彼は自ら『写像秘訣』なる書を著して,その肖像画法について語っている(注5)。悦瑾は周知のように元末の四大家に数えられる著名な文人画家である。この「楊竹西像」は,王繹が白描で当時の文人楊竹西が杖をもって立つ姿を描き,{兒環がその独特の渇筆で松石や地面を描く。筆者は昨年九月に北京故宮博物院に赴いたが,残念ながら本作品を実見する機会は得られなかった。しかし,良質の図版を入手することが出来たので,今はやむを得ず図版によって議論を進めることとしたい。さて,まずその顔貌表現を見ると,鼻梁や小鼻,目の周囲の眼窯線,また頬骨の線-231-

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