—明治30年代前半の金地表現をめぐって一⑱ “装飾画’への道程研究者:山種美術館学芸員塩谷今日,日本美術の特質として“装飾性”を掲げることはひとつの常識といえよう。十九世紀後半の西洋に日本美術が衝撃を与えたのはその“装飾性”ゆえであったし,また東アジアの中で,とくに中国美術との比較においても“装飾性”こそ日本美術を特徴づける要素であることが再三指摘されている。一方,日本の近代美術研究にあっては,制度としての“美術”の導入という見方が定着しつつある。すなわち明治以降,美術館や展覧会,美術学校といったシステムを国家的事業として西洋から移植しながら現在の絵画・彫刻を中心とする“美術”という概念が育まれていった,という視点である。ならば近代において,日本美術の特質である“装飾性”はいかに“美術”と折り合いをつけていったのだろうか。具体的には“美術”の制度化の1習着点ともいうべき文部省美術展覧会(文展)で“装飾風”あるいは“装飾画”と評されるスタイルの日本画・洋画が際立ってくるのだが(注1)'こうした,本来生活上の用途から切り離された純粋美術のための場である展覧会に,生活空間に奉仕する応用美術の本質としてその対板にある筈の装飾という観念が入り込んでいく過程を本研究では探ってみたい。言い換えれば展覧会に出陳された“装飾画”はもはや寺院や屋敷を飾る障壁画のような“装飾のための絵画”そのものではなく,過去のそれから摘出された視覚イメージをまとった“装飾的な絵画”なのであり,そうした本来の機能から遊離した視覚イメージ=“装飾性”が近代日本美術,とりわけ絵画の中でどのように位置付けられたのかを検証しようというわけである。しかしながらーロに“装飾性”といっても,それは漠としたイメージを掴み取る言葉であるため,多分に語意のゆれが生じるおそれがあろう。そこで本稿では“装飾性”を窺うひとつの指標として,とくに金地表現に焦点を当てて論を進めることにしたい。しばしば『宣和画譜』の一節を引いて指摘されるように,金碧の多用は日本絵画を特徴づける要素であり,わけても金地は屏風や襖絵といった,もとは室内装飾を旨とした画面形式と密接に結びついた表現だからである(注2)。なお本稿の内容は,助成申請時の研究課題「日本の近・現代美術における琳派の受純-239-
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