鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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かった。この祈りの手引き書は,十六〜十七世紀を通じて26回も再版を重ね,さらに数ヶ国語に翻訳されるなど,信者の間に広く普及していたのである(注17)。《マドンナ・デル・ポポロ》〔図5〕で,聖母は慈悲深くキリストに民衆の救済をとりなし,キリストはそのカリタスのしるしとして,精霊の鳩を地上に送る。地上ではひとりの若い女性か,精霊を指差す一方,握りしめたロザリオによって,二人の子供を祈りによる観想へと誘う〔図6〕。二人のうち年長の少女は,母親とともに年下の幼児の方を見やる。幼児はしかし別の方に顔を向け,無邪気な微笑を浮かべている。マッティア・ダ・サローは次のように言う。自然の教えに従って祈るだけでは不十分で,魂を良き祈りに導く精霊の教えに従わなければならない(注18)。画中で,女性が精霊の鳩を指差している理由はこうして理解できる。マッティアはさらに言う。心を虚しい考えに陥らせないために,祈りを欠かしてはならない。貧者への施しも,それが心の裏付けを伴わなければ意味がない。施しの行為に満足し,心の祈りをおろそかにする者に救いはない……(注19)。画中で年下の幼児が見つめているのは,足なえや盲人たちへの施しの場面である。構想習作〔図7〕で彼らに施しをする同信会貝を描いたバロッチは,完成作ではこの人物を省き,画面右端で祈蒻書を手に彼らを見つめる同信会員の姿を,代わりに強調している。足なえは今や虚しく手を差し出したままとなった。この構想の変化は,祈りを伴わない施しは救いにつながらないと説く,マッティア・ダ・サローの手引き書の影響を考えなければ説明がつかない。《聖ウィタリスの殉教》〔図9,10〕の前景に描かれた,サクランボを欲しがる小鳥は,現世の虚しき財への執着を象徴する「かけす」である(注20)。ここでも,若い母親が聖人の殉教の場面を指し示し,小鳥に気を取られている小さな娘を祈りへと促している。幼い子供たちを伴うこの女性像は,《マドンナ・デル・ポポロ》の場合でもそうであったように,伝統的なカリタスの擬人像に基づいている(注21)。バロッチはカリタスを,物質的な救済を超えた,祈りによる精神の救済として捉えようとしているのである。そして《無原罪の御宿り》〔図8〕でも,小さな娘を愛情深く聖母への祈りへと促す若い母親か,他の信者たちとともに,聖なる庇護者への敬虔な信仰を表明している。碧母は両手を信者たちの上に広げ,慈しみを示している。このフランチェスコ会ゆかりの教義「無原罪の御宿り」(注22)の図解には,聖母一人を描けばよいはずだが,バロッチはここで,信者たちや母子のグループをも描き込んで,聖なる存在に向けて祈-15 -

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