鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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3932(仏)は,観音経に続けて般若心経,続命経(大正新修大蔵経八五),地蔵経(大l〕(注7)。釈迦説法の様子を精緻な刻線で生き生きと表現する「祇樹給弧獨園」の反復を可能にするために,普門品より短く唱え易い疑経観音経(十句観音経など)までもが別に作られていた(注2)。この様に早くも六朝時代から観音経を繰り返し誦することによる効験が信じられていたのである。唐代に入り,密教経典が次々に漢訳されたが,当時観音経が呪術力を有する経典として認識されていたことは写経の遺品からも断定出来る。筆者はこの度大英図書館,フランス国立図書館に蔵される唐代書写の観音経多数が,特に霊験を強調する陀羅尼や経典と連写されているのを実見確認する機会を得た(注3)。例えば合冊本ペリオ正新修大蔵経八五),解百怨家陀羅尼経(大正新修大蔵経未刊)を連写している。後代に偶然合冊にされたのではないことは,全ての見開き左右外側が同程度に手ずれしていることからも自明であり,この冊子が幾度となく読誦された事実も示している。大英図書館蔵,彩色絵入り観音経冊子としてよく知られるスタイン6983にも地蔵経の経文が同じ筆跡で連写合冊されているのも興味深い(注4)。観音の真言(陀羅尼・呪文)の神通力についても数多くの密教経典に説かれている。諸仏菩薩それぞれに陀羅尼が定められていたが,観音に関するものは特に多く,各種経典から陀羅尼を集めて編纂した陀羅尼雑集(大正新修大蔵経ニー)では総数(171種)の約五分のーも占める(注5)。陀羅尼は特に念ずれば念ずるはど呪力に差がつくことが各種陀羅尼経に説かれているが,数多く連ねることでその効験が高まると信じられていたことを,まさに陀羅尼連写を主眼とする長大な写本の遺品が示している(注6)。ましてや,それが彫板印刷を以てより早く大量に摺写されることで,千万無量の威力を得ることが期待されたのではあるまいか。観音の名号称念や,疑経も含め観音経を何遍も誦することの益得が広範に信奉され実践されていたことはすでに論じたが,これは観音真言は勿論,その他の陀羅尼復唱による呪力増大とも共通している。(三)版画に託された呪術性陀羅尼の復唱による益得を期して制作されたことを窺わせる仏教版画では,先ず,年記を有する最古の版画としてもよく知られる大英図書館蔵金剛経の扉画がある〔図図は,経意を具体的に図示する説話的扉画の早い例として貴重であることは言うまでもないが,ここで注目したいのは,経文の前後に真言が添えられていることである。-251-

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