27)。日本ではやや遅れて,室町時代の永正元(1504)年版(注28),それを模刻した寿消災•…••」と記し,この印造は聖体(天子)自らの招福除災を佑助するためである0 (1602)年版(注26)などが有る。この他に,鎌倉期1257年に日本で制作された『観(五)説話的に図示された観音の呪術性真言,陀羅尼経,陀羅尼護符などの版画諸例に見た呪術性が後世に及ぶまで信仰され続けたことを,説話的描写の図を伴う版経の遺品が伝えているが,代表的なのが出相観音経である。先ず,これまで遺品の伝わらないとされていた宋代のものでは,政和六(1116)年の刊記を有するもの(注23)と大中祥符六(1013)年の刊記を有するもの(注24)が文物に発表されていることを指摘しておく。また,詳しい研究が待たれるものではハーバード大学サクラー美術館蔵永楽ニー(1423)年版(注25),万暦三音経絵巻』(米国メトロボリタン美術館所蔵)の祖本となった,嘉定元(1208)年版の図入り観音経版経か存在していたことが,絵巻に書写された践文より確認出来る(注弘治三(1557)年版(注29)が知られ,江戸のものでは「高野山蓮華定院盛光」の刻記を有する高野版が有り(注30),また中国より請来された宣徳八(1433)年版がこの時期しばしば覆刻されている(注31)。さらに新出資料としては,元末明初版と刊行年不明の古版図入り観音経が存在する(注32)。宋代の二点は扉画のみ伴うが,その他現在知られている出相観音経は,確認出来る限りに於いては全て,経の内容に沿って主な救済例を挿図四十図に表し経文と交互に配す。例えば元末明初版では,観音が宰官と婆羅門の応現身を以て説法を行う場面は〔図6〕のように示される。万暦三0年版〔図5〕の呪詣諸毒の図では,害を免れる信者と毒を盛った本人がそれを吐き出している様子を表す。これら挿図入り観音経は,版により多少図柄が異なっても場面選択を同じくし図の配置も一定の形式を守っているところに,経の効験を保とうとする制作者側の意図が窺える。さて,万暦三0年版は,5048巻という特殊な部数の一好例である。木牌に「当今皇帝謹発誠心印造出像観世音普門品経一蔵計五千四十八巻専為保佑聖体万万安増延万万としている。また,政和六年刊行の宋版では経文末尾の刻札は「杭州法昌院印造」と記すが,巻末の跛「……願張術家脊安寧増延福弄者」には杭少l、I銭塘県の張術という人物の個人的な願意が現れており,張氏個人の捨施による制作であったことが判る。これは,寺院に於ける版経印造が,従来言われてきた様な民衆教化や経典流布のための大量刊行に限られていたわけではなく,俗人の個人的要望にも沿う形で行われていた-255-
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