ることの必要性を強調している。神の救済に信者の努力は何の影響も持ちえないとするプロテスタントに対し,祈りという行いを救いへの最良の道と説く点において,カプチン会の立場は対抗宗教改革と流れをひとつにしている。バロッチの想像力はカプチン会の教えを,優しい慈しみのイメージとして結実し,神の恩寵を信者の立場からいかに祈願するかという問いへとつなげていくのである。カリタスの薔薇が1560年代後半,祈りへの誘いが1570-80年代前半に繰り返し描かれたテーマだとすれば,1580-90年代のバロッチは,しばしば聖なる場面に羊飼いや村の娘を描き込んでいる。そしてそれは,バロッチとカプチン会との絆に,オラトリオ会との接触が加わった時期でもあった。この頃の作品のひとつに,ウルビーノ公がスペイン宮廷に送った《キリスト生誕》〔図11〕がある。貧しい馬小屋の中で,マリアは布にくるまれた幼子の放つ光を全身に浴び,ヨセフは戸口を開いて二人の羊飼いを招き入れる。羊飼いたちは驚きの表情を浮かべて質素な小屋の中を見やり,中に入るのを躊躇している〔図12〕。カプチン会がトレント宗教会議以降その神学教育の礎としたポナヴェントゥーラは(注23),キリストの生誕に触れて,「貧しく,単純で,みすぼらしい」羊飼いたちが恐れずに近寄れるよう,幼児キリストも「貧しさと謙譲のしるし」をまとって現れたと述べる(注24)。この単純と謙譲こそ,聖フランチェスコにとって最良の美徳であった。しかしそれらはまた,オラトリオ会の創設者フィリッポ・ネーリがとりわけ重視したものでもあった。「何よりもまず,この上なく謙譲であれ」,これはネーリが弟子たちに与え続けた言葉であった(注25)。そして謙譲な者はまた単純でもある。己れを軽んずることから始まる謙譲の実践のために,知識はいかに大きな妨げであることか。教養もなく,子供のように純真なカプチン会士聖フェリーチェ・ダ・カンタリーチェに寄せたネーリの敬愛もまた,この点にあった(注26)。この時期のバロッチが単純な羊飼いの姿を描き続けた理由もまた,この素朴な純粋さへの憧れにあると考えられる。ペーザロの「イエスの名の同信会」のために描かれた,1590年の年記を持つ《キリスト割礼》〔図13〕では,可憐な瞳でわれわれに訴えかける小さなイエスの周囲に,施術をする祭司たちが集まり,幼子の両親は右端から敬虔な面差しで見守っている。左端では,キリストの血液のこの最初の散出の中に,救世主の限りない「カリタスの薦め」を見よと述べるボナヴェントゥーラの言葉のように(注27),ひとりの侍祭が小皿-16-
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