鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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塩川信濃守貞行の二十九人である。『万宝全書』での,鎌倉時代の定家様の書き手は,京極黄門定家卿こと藤原定家はもちろん,二条為世,二条定為。室町時代では,一条教房,冷泉為広,冷泉為和,山科殿言綱を挙げる。これらのうち,単なる伝承作品のみの場合も含めその遺墨を確認できるのは,藤原定家,二条定為,一条教房,冷泉為広,冷泉為和である。さらにそれらの遺墨から定家様を書いたのは,藤原定家,二条定為,一条教房,冷泉為和の四人とわかる。それ以外は,遺墨が確認できないか,筆跡は残るが定家様と認められないのである。また,『万宝全書』以後の,『流儀集』『古筆流儀別』『古筆流儀分』『古筆分流』等の書流系譜の本に掲載される定家流の人を加えると,鎌倉,室町時代では,わずかに定家の女の坊門局が増えるのみで,しかもその筆跡が定家流とは確認できない。桃山,江戸時代になると,書流系譜の諸本に掲載される以外に,遺墨そのものから,定家流であることを確認できる人物も加えることができる。つぎの人物名は,そうした書流系譜に登場する名,および筆跡調査等で確認できた人物を挙げたものである。定家様の人々鎌倉時代◎藤原定家(1162-1241)◎二条定為(?-1260-1326-?) 二条為道(1271-99)室町時代◎一条教房(1423-80)◎冷泉為和(1486-1549)桃山・江戸時代◎小堀正次(1539-1604)◎徳川家康(1542-1616)蜂須賀至鎮(1586-1620)久世通式(1593-1628)枝隼人至玄◎は,伝承も含め遺墨を確認するもの二条為世(1250-1338)坊門局(?-1200) 冷泉為広(1450-1526)山科言綱(1486-1530)淀君(1567? -1615) ◎冷泉為満(1559-1619)◎冷泉為頼(1592-1627)◎久我通前(1591-1634)-266-

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