茶道上の定家流の流れは,小堀正次,小堀遠州親子から始まるが,遠州が定家様を書き始めたのは,和歌との結びつきからであろう。遠州以前から,茶道においては,和歌・連歌との結びつきは強く,遠州自身も当時の武家歌人としての位置は高いものであった。しかも,遠州の和歌の師は,冷泉為満,為頼親子で,実際の交流を示す書状等も現存する。ところが,遠州の茶人としての地位を尊重し,遠州に倣って定家様を引き継いだ茶に関わるその子孫や,弟子といった人々は,遠州の茶道における定家様の形のみを継承し,定家の和歌の精神や茶との結びつきを深く追求してはいないようである。しかし,書風の伝播は冷泉家より確実でよく似た書が続くのが特色である。それでも,各人のわずかな個性が見える。冷泉家中心とは別の系譜の誕生である。小堀家の,小堀正之,小堀政手,小堀政貴,小堀宗中や遠州の弟子茶屋(中島)宗古や武家の松浦鎮信,酒井宗雅,松平不昧,道具商戸田露吟ほかが,そうした人々である。定家様と時代の決定こうして,多くの定家様の人々を拾い上げることができると,筆者不明の定家様の出現に対しいろいろの対応が可能となる。それには,確かな多くの遺墨が必要であるが,いままでのところ,冷泉家の歴代の筆跡についてはかなりの精度で筆者推定が可能であろう。たとえば,江戸時代はじめの画家土佐光起(1617-1691)筆とされる「源氏絵」の巻物の調査の機会を得たが,その中に定家様の筆跡かあった。画面は,源氏物語五十四帖の内,「審木」「夕顔」「紅葉賀」「須磨」「絵合」「乙女」「胡蝶」「締火」「行幸」「夢浮橋」の十場面,そのそれぞれに,詞書が対応して付いている。その筆者はそれぞれ異なり,十人。定家様の筆跡は,「紅葉賀」「須磨」の詞書で,伝承筆者は烏丸光広(1579-1638)と冷泉為満(1559-1619)である。為満については陽明文庫に伝来の短冊ほかの筆跡と較べて,特色が一致する。ほかに似ているのは,為満の子為頼の筆跡であるが,この詞書の筆跡の字形の特色は,明らかに為満のそれである。光広については種々の筆跡を書き分ける人物であることからはっきりとしない。ほかの八人の筆跡についても,伝承筆者名にしたがって公表されているそれらの遺墨と比較すると,八点ともはほ‘伝承どおりの筆者に間違いないと推定できる。-270-
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